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うわ。

 投稿者:稲葉  投稿日:2009年 5月 2日(土)20時50分36秒
  ちゃんと書かないとダメですね!  
 

Santa Claus is Comin' to Dream 2 第4話・完結篇

 投稿者:稲葉一成  投稿日:2005年12月26日(月)19時01分45秒
編集済
  *******************************
「なんだ、気づいてなかったのか?」
 クスクスと笑いながらイルムは、呆れたと言わんばかりの風情で、
ひとつ溜息を吐き出した。
「考えてみろよ、あの鉄面皮が血相変えて怒る事なんざ、他にある
訳ねぇだろが」
 容赦なく扱き下ろす口調でありながら、イルムの科白には多分な
可笑しみと親しみが含まれていた。それを聞き取ったリュウセイは
しかし、怪訝な目をしてイルムの顔を見返す。
「でも、オレ…そんな、――」
「そんなつもりじゃなかったって?」
 言い淀むリュウセイの科白の先を引き取って問い返したイルムは、
少し厳しさを増した双眸を相手の瞳に当てて睨み返した。
「じゃあ聞くけどな。オマエ、ライに「抱け」っつった時、どんな
風に考えてた? それが何か自分の為になるって、本気で考えてた
のか?」
「――ぁ、……」
 鋭いイルムの指摘に返す言葉さえ無くして、リュウセイは茫然と
顔色を失う。その相手に畳みかける口調で、イルムは嘆息混じりの
苦言を吐いた。
「なーんも考えてなかったろ。ただ単に勢いに任せて滅茶苦茶な事、
言ってみただけなんだろうが」
「……、――…」
「だから、ライは怒ったんだよ」
 そりゃそうだよなぁ、下手すりゃテメェの身体より大事に大事に
想って育てて来たトナカイなんだぜ? それを『どーなってもいー』
なんて、自分から放り出されたんじゃなぁ。――と、そうまで言い
当てられ、リュウセイは何も反論できず俯く肩を竦めさせた。その
頬に、ポツ、ポツポツ…と、再び涙の雨が降っては新たな雫の跡を
描いていく。そんなリュウセイの頭に、ポン、と戒める掌を置いて
イルムは、ワシャワシャと慰める手つきで彼の髪を掻き回した。
「解ったか? 反省したか?」
 ひとつひとつ噛んで含めるように確かめるイルムの科白にリュウ
セイは、コクッ、コクッと一々、深く頷いて涙を怺える手を上げる。
その泣き止もうと努力する彼の幼い仕草を、見ない振りをしてやり
ながらイルムは、ポンポン、と最後の名残にリュウセイの頭を叩き、
励ましてやった。
「解ったんなら、もう少し此処で大人しくしてろ」
 そしたらライに早く帰るよう言ってやるから。と、そう請け負う
イルムに、リュウセイは真っ赤になった瞳を上げて問い返した。
「……ライ、まだ怒ってる?」
 それを聞いたイルムは、何とも言えぬ顔をして苦笑じみた渋面で
口元を歪めて見せた。
「怒ってたら、どうする。逃げるのか? それとも黙って追い出さ
れてやるのか?」
 少し底意地の悪い、そんな問い返しをしたイルムの前で、リュウ
セイはブンブンと大きく頭を振ると、その場に踏み止まる強い意志
を示しギュッと両の拳を握り締めた。その姿を見て「解ってんじゃ
ねぇか」とイルムはひとり呟くと、ニッと笑ってリュウセイの前髪
を梳き上げた。
「だったら、せいぜい気張って叱られな」
 そう囁く言葉に添えて、ピンと額を弾いたイルムの指先に従って、
ポツ…ッと落ちた最後の雫がリュウセイの頬を彩り、小さく輝いて
宙に消えていった。
 ――ライが自分の家に戻って来たのは、イルムが帰って暫くした
後の事であった。気の進まぬ様子で、さりながら惰性だけでは越え
られぬ深い雪を踏み分け帰って来たライを待ち受けていたものは、
シン…と静まり返った居間の有様であった。暖炉の火もとうに消え、
食事が摂られた気配も無い。ただほんのりとココアに似た甘い匂い
が漂っていたが、それも今にも掻き消えそうなほど微かだった。
 そんな家の姿を見ただけで、ライは居たたまれぬ不安を感じる。
纏わりついた雪を払い、濡れたコートの始末をするのもそこそこに、
ライは急ぎ二階に駆け上がって、真っ先にリュウセイの部屋の扉を
開けた。しかし、そこも一階の居間と同じ――無人の闇と火の気も
ない暖炉が黒々とした口を開いているばかりだった。
 ライは白い溜息を塊で吐いて瞑目し、気を落ちつけるように頭を
振ると、やがてゆっくり踵を返して、残る自分の部屋へ脚を向けた。
最初に「出て行け」と言ったのは自分の方だ。それを守ってリュウ
セイが本当に出て行ったとしても、文句の言える筋合いではない。
イルムは彼が待っていると言ったけれど、そしてその言葉を疑う訳
ではないが、今のライにはまるで己の考えに自信が持てなかった。
 今度こそ、すべてを失うのではないか――そんな恐れを満たして
開いた寝室の扉の向こうに、けれど彼が願っていたすべては揃い、
待ち構えていた。明々と暖炉に炎は躍り、その灯に照らされて佇む
のは、真っ赤に泣き腫らした眼を持つ若いトナカイ――リュウセイ
だった。まるでいつかの再現のような光景を眼にし、知らずライは
口元が安堵の息で緩むのを止められなかった。相変わらず。そんな
風に詰られるべきなのは、果たして相手の方なのか、それとも自分
の方なのか。そんな感慨を束の間、ライが胸に弄んでいるうちに。
リュウセイの方が彼に気づいて、ハッと我に返る顔を振り向かせた。
「……――、…」
 何と言って呼びかけたら良いのか、その言葉を迷うライよりも、
リュウセイの行動の方が早かった。彼はものも言わずライの許へと
駆け寄ると、ドンッと鈍い音がするほどの勢いつけて彼の胸に飛び
込み、彼の背に腕を廻して、しっかと自分の居場所にしがみついた。
「――ごめんなさい。」
 謝る言葉は胸に顔を埋めたままの、くぐもった声音でライの耳に
届いた。
「ごめんなさい、ごめんなさい。……もう言わない。もう、しない
から…あんな、馬鹿なコト――」
 言い募る科白が次第に引き掠れ、泣き声に掻き崩れていくのを、
残らず胸に拾い集めながらライは、静かな嘆息と共にリュウセイの
身体を深く腕に抱き竦めた。
「――あぁ、解った。オマエも解ったなら、もう…良い……」
 だからもう、そんなに泣くな。と、そう困ったように宥めるライ
の声を聞き、リュウセイはグシグシと啜り上げる首を彼の胸に擦り
付けると、無理やりの笑顔を頬に浮かべて顔を擡げた。
「エッチすんのは、大人になった後のお楽しみ、だもんな?」
 そんな風に誤魔化しの冗談で強がった彼を、ライは苦笑して戒め
ると、その泣き腫らした頬に労りのキスを落として囁いた。
「泣き虫小僧が誘うには、十年早い。……今年は、残念だったな」
 ようやく、告げてやるべき慰めの言葉を口に出来たライの前で、
けれどリュウセイは穏やかに頭を振って眼を伏せた。
「うん。――でも、いいんだ。今年はもう、いいんだ……」
 来年が、あるから。と、諦めでもなく逃避でもなく、不屈の想い
を秘めて呟いたリュウセイに、そっとライは頷き返すと彼の双眸を
覗き込んだ。見つめ合う、その眼差しに待ち焦がれる輝きを乗せて。
微笑んだライは、そっとリュウセイの唇に己がそれを重ねた。
「今年は惜しかった、その残念賞に――…」
 そう言って深く深く押し当てられた唇を、微か喉を鳴らして受け
取ったリュウセイは、縋りつく指先にギュッと強くライの上着の裾
を握って力を籠めた。大人になるまで、大人になっても、もう何処
へも行かないと訴える、子供っぽい想いの表れるままに……。

         *  *  *  *  *

 真夜中、ムクリと起き上がる身体を立てたリュウセイは、傍らに
眠る人の横顔を見つめて小さく瞬いた。その緩慢な仕草に従って、
ポツ、ポツポツ、と幾粒かの涙が零れる。それを、寝惚けていても
明らかに解る膨れっ面のまま拭い取ると、リュウセイは唇を尖らせ
低く呟いた。
「……ひきょーもの。」
 目覚めたばかりの、いや、完全には起ききっていない掠れ声の、
呂律の怪しい口調でひとこと宣うと、それで満足したように、彼は
再びパタッと仰向けに横たわって眼を閉じた。後には、すーすーと
安らかに流れる二人分の寝息ばかり。だが、その片方が次第に魘さ
れるような唸り声にとって変わられ始めたのは、暫く経ってからの
事だった。それでも――殆ど首絞められるような体勢で抱きつかれ、
寝に入られてもリュウセイの身体を突き離さなかったライは、果た
してどんな夢を見ていたのか。それを知る者は、誰もいなかったの
だった。
*******************************
 

Santa Claus is Comin' to Dream 2 第4話・後篇

 投稿者:稲葉一成  投稿日:2005年12月25日(日)18時12分42秒
編集済
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「――リュウ、セイ…?」
 其処も他の例に漏れず真っ暗な部屋の中、恐る恐るに問い掛けた
イルムの声に応える者は居ない。いや、居るには居るのだろうが、
その人影が何処にあるのかさえ、さっぱり感じ取れない沈黙の淵に
沈んでいた。ただ、辛うじて他の部屋と違っていたのは、この部屋
の暖炉にだけは未だ薪がくべられ、仄かな火が躍っていた事である。
その灯を頼りに、漸く眼の慣れた暗闇を縫ってイルムは、広い部屋
の中に脚を踏み入れた。
「おい、リュウセイ。どした? 居るんだろ?」
 呼びかけるが、コソとも物音はしないばかりか、返事する言葉も
聞こえない。これは本当に、一体どうした事かと訝しむ視線を巡ら
せたイルムは、其処で漸く部屋の片隅で蟠る毛布の塊に気がついた。
いや、毛布の塊と見えたのは錯覚で、確かにその「中身」も含まれ
ているのは、その膨らみ具合と形状で良く解る。人がひとり、毛布
の蛹に包まった状態で横たわっているのだと悟ったイルムは、急ぎ
彼の許に駆け寄って相手の肩を抱き起こした。
 あんなにも頑なに、「リュウセイが成人するまでは待つのだ」と
言っていたライが、とうとう我慢を切らしてヤってしまったのかと、
そんな下世話な勘繰りを思い浮かべたイルムを余所に、リュウセイ
は小さく呻いて寝入ってしまっていたらしい闇の中から眼を覚ます。
途端に、自分の身を横抱きに持ち上げる人の腕の気配を察し、彼は
狂ったように手足を振って暴れ始めた。
「ぃ…っ、やだっ! いやだっっ! やだぁっ! オレは何処へも
行かない! 此処に居る! 此処に居るんだ! やだぁあっっ!」
 何処にも行かない、此処に居る、傍に居たいから、何処へもやら
ないでくれと繰り返し訴えては泣き叫ぶリュウセイの言葉に、自分
の予測が外れた事を知ったイルムは、取り落とし掛けた相手の身体
を慌ててベッドに降ろして、その手足を押さえつける。
「解った! 解ったから落ち着け、リュウセイ! それに俺はライ
じゃない、イルムだ! 解るか? イルムだよ、リュウセイ!」
 何度も呼びかけては正気を取り戻させようと頬を叩く彼の言葉に、
リュウセイは茫然たる眼を瞠いて大人しくなる。
「イルム…ちゅー…い?」
 以前にふざけてそう呼べと言った、その敬称のまま問い返す声を
放ったリュウセイに、恐慌のあまり少し意識と記憶が混濁している
のかも知れないと見て取ったイルムは、注意深く彼の身を抱き起こ
して自分の肩に凭れ掛からせた。
「……そうだ、イルム中尉だよ。そんでもってオマエさんは、軍曹
から始めるんだろ? 最初は俺の部下で、下っ端だ――」
 あやすように笑って背を叩くイルムの言葉に、段々と落ち着きを
取り戻したリュウセイは、やがて再び――今度はヒック、ヒック、
と小さくしゃくり上げる喉を鳴らして啜り泣きを始めた。そんな彼
の背中を抱き締めてやりながら、イルムは苦笑を洩らし顔を顰める。
この年になっても、こんな手放しに人前で泣く、彼。その素直さは
誰もが認める美質であろうが、それだけにライはどんなにか心配し、
或いは不安に思っているだろう。本当の意味でギリギリの、タイト
ロープな立場に置かれているのは寧ろ彼の方なのだ。それを思えば、
出て行けと言いつつリュウセイを追い出せず、そればかりか自分の
寝室に鍵を掛けて閉じ籠め、何処へもやれずに、それでいて我が身
は傍に居てやれずに逃げ出すしかなかったライの心情も、解らない
では無かった。実に屈折した、それでいて正直な所業であったが。
 兎にも角にも今はリュウセイを宥めてやるのが先だと思い定めた
イルムは、ポンポン、と、あやす手を二回、調子づけて叩いた後、
その腕で相手を突き離して彼と向き合った。
「――今年も駄目だったって?」
 揶揄いめかし尋ねるイルムの科白に、リュウセイはビクッと肩を
震わせ、ようよう頷く首を縦に揺らすと、その横顔を俯かせたまま
また、ポトポトと涙を零し始めた。そんな項垂れるリュウセイの髪
をワシワシと掌で掻き回してやって、そっとイルムは溜息を吐く。
「コレばっかりは、な。焦っても、しょうがねぇよ」
 『その時』が来なければ他に如何ともし難いのだ、と説いて聴か
せるイルムの声にも、リュウセイはブンブンと涙の落ちる頬を振り
たくって否定の意を示す。そうではないのだ、自分が泣いているの
は、その所為ではないのだと訴えるリュウセイの仕草に気がつき、
イルムは怪訝そうな眉を顰めて彼の顔を覗き込んだ。
「ん? 違うって? それじゃ、なんでそんなに落ち込んでんだよ」
 てっきりそうだと思って慰めの言葉も用意して来たのに、などと
心にもない事を嘯くイルムに、リュウセイは泣き濡れた瞳を上げて
彼を見た。その、無心に縋りつく眼差しの色に「おっと…」と焦り
視線を逸らす構えを心の中だけで取りながら、表向きは困った風に
笑う表情を浮かべてイルムは、リュウセイの頬に手を当てる。そう
してくれた彼の手つきにさえ、此処に居ない誰かの面影を思い浮か
べるのか、尚もポタポタと大粒の涙を落としながらリュウセイは、
か細く掠れる声で呟いた。
「……出てけ…って、出てけって…言った――」
 たったそれだけの言葉を口にするにも堪らないほど胸が軋むのか、
リュウセイは裸の胸に掻き寄せた毛布を握り締めて蹲る。そんな彼
を急かさず宥める指を目許に滑らせて、そっとイルムは流れる涙を
拭ってやった。その手つきに先を促され、ようやっとリュウセイは
軋る胸に何度も噛み締めた苦しい言葉を声に吐き出す。
「ここから出てけって、言った。――ライ、オレに…出て行けって、
二度と顔も見たくないって…言った…っっ!」
 終いまで告げた語尾は泣き崩れる余韻に掻き消され、恰かも悲鳴
の如くだった。そうしてわんわんと、また泣き出してしまった彼を
前にして、イルムは「はぁ?」と素っ頓狂に眉を上げる表情で顔を
顰めた。――「出て行け」と詰られたショックは解る。それで先に
抱き上げた時に、「俺は何処へも行かない」と頑張ったリュウセイ
の理由も解った。しかし少し冷静になって考えてみれば解りそうな
ものだ。外側から鍵を掛けられた状態で、しかも毛布を被っただけ
の全裸の格好で、どうすれば外に出られると言うのだ。それは窓を
破れば、この深さの雪だ。多少、無茶かも知れないが飛び降りても
怪我はせずに外に出られる。だが、それはリュウセイが自分から外
に出る気になり、そうした選択をした場合の話だ。少なくとも彼を
外に摘み出したいと思っているライの取る行動ではない。この場合
は寧ろ、ライはリュウセイを何処へも行かせたくなかったと考える
のが妥当ではないのか? そんな事を冷静な頭で考えていたイルム
は、あまりの支離滅裂っぷりに錯綜する二人の構図に眩暈を起こし、
クラクラとなる額に手を当ててリュウセイを引き起こした。
「取り敢えず、オマエは服を着ろ。な?」
 このまま話をしていて――まず無いと思うが――またぞろライが
帰って来てあらぬ誤解をし、殴り飛ばされるのは御免だと、いつか
の事件を引き合いに出して笑われ、リュウセイは慌てて立ち上がる
と、パタパタと小走りに駆けて自分の部屋へと戻って行った。その
後ろ姿を見送ってイルムは深々とした溜息を吐くと、どうしたもの
かと天を仰ぐ仕草で肩を竦めた。
 取り敢えずリュウセイは衣服を着込み、そんな彼に勝手知ったる
他人の家の台所でホット・ココアまで作って淹れてやったイルムが
向かいの席に落ち着いた処で、二人の話は再開した。
「それで、何だってそんな問題になったのよ」
 そんな『出て行け』『出て行かない』などという痴話喧嘩の、と
その『痴話喧嘩』の部分だけは省いて言ったイルムに、リュウセイ
は手の中に包み込んだココアを覗き込んで俯いた。もの言わぬ彼の
頬から、また再びポタポタと涙が滴って、甘いココアに塩味をいや
増させていく。
「だから、そんな泣かなくて良いから言ってみな?」
 テーブル越しに涙を拭う手を上げ、ついでに鼻さえかんでやりな
がら、イルムは呆れた溜息を吐いて首を傾げる。どうもこの無心で
手放しな仔トナカイを前にすると、世話を焼きたくなってしまう。
これはライの過保護だけを責められないな、と彼が新たに発見した
処で、漸くリュウセイはポツポツと件の経緯を話し始めた。つまり
は、試験に落ちた日の夜更けにライの寝室に押し掛け、そのベッド
に横たわる彼の身体に跨って「抱け」と迫った事など云々。それを
聞いた瞬間、イルムは机に片肘突いていた体勢から、盛大に半身を
ズッこけさせた。
「……はぁ? なん、だ…そりゃ!」
 今度こそ、素っ頓狂に跳ね上がる声を隠せもしない。その呆れ声
に、ビクッと怯えて震え上がったリュウセイは忽ち、ひーんっっと
再び泣き顔になって雨霰の涙を降り注ぎ始めた。――無論、イルム
の驚きは「そんな所業」に走ったリュウセイにも向けられたもので
あったが。それよりも尚、大きかったのは、それで「出て行け」と
まで言いつつ相手を追い出し得なかったライの馬鹿さと正直加減に
ついてである。まったく、妙な処で履き違え、取り違えつつも結局
は似たもの同士な親子である。
「リュウセイ、オマエなぁ……」
 盛大な落胆の息を吐きつつ、その科白の半ばは宛先をすり替えて
イルムは、此処には居ない誰かに向けて頭を抱えた。
「――リュウセイ。そりゃオマエ、やっちゃなんねぇ事したな?」
 冗談めかす中にも、真剣な戒めを問いに秘めて確かめたイルムに、
リュウセイは泣き腫らした顔を上げる。その、解っていると表情に
描きつつ、その実は何も解っていなさそうな瞳を見つめて、イルム
は深い嘆息を洩らした。
「何がいけなかったか、オマエ解るか?」
 改めて問い質せば、リュウセイは少し迷った後で震える口を開く。
「オレが大人になれないの、ライの所為に…した――」
 それが一番だろうと思う反省を言葉にした彼に、イルムは笑って
首を振る。
「それも、あるなぁ……」
 しかしまだ他にある、と暗に示したイルムの科白に、リュウセイ
は考え込む素振りをして唇を噛む。
「……エッチしたら大人になるなんて、馬鹿なコト…考えた――」
 既に赤く泣き腫らした上に、尚も染まる朱を添えて呟いたリュウ
セイに、イルムは優しく破顔して肩を竦める。
「ソイツもあるにはあるが、一番じゃない」
 ……尤も、それが真っ先に、あの潔癖なライの逆鱗に触れたって
可能性も無いではないが、と心の中で付け足して、イルムは小さく
苦笑する嗤いを噛んだ。
「――まだ、…?」
 まだあるのかと、そんなにも自分はライを怒らせてしまったのか
と怯える眼差しを向けたリュウセイに、イルムは落ち着かせる笑顔
を浮かべ片目を瞑って見せた。
「これに比べりゃ、他はオマケみてぇなもんさ。――オマエが絶対
に、しちゃなんねぇ事。絶対に覚えとかなきゃいけねぇ事を忘れた
から、だからライは怒ったのさ」
 口調こそ軽いが、言っている内容は重いイルムの科白を聞いて、
リュウセイはゴクリと息を呑んだ。
「それって、何――?」
 ここまで言っても解らないのかと、不思議そうに首を傾げている
リュウセイをもどかしく想いながら、そのもどかしささえ楽しんで
イルムは、そっと謎かける言葉を増やした。
「ライが一番、大切にしてるもの。ライがこれまで、大事に大事に
育ててきたもんを、オマエが台無しにしようとしたから……」
「だから何! それって、何だよ!」
 勿体ぶった言葉で答えをはぐらかしているようにしか思われない
イルムに、とうとう癇癪を起こしたリュウセイは子供っぽい口調で
先を遮り、早く教えろと問い詰めてしまった。その様を、チラリと
横目で見遣ったイルムは、馬鹿だなと言わんばかりの表情で双眸を
眇めた。
「……オマエだよ」
 決まってるだろ? と、あまりにも呆気なく答えを明かした彼の
言葉を聞き、リュウセイは茫然となって、ストン、と浮かせ掛けて
いた腰を再び元の椅子に落とした。
*******************************
 

Santa Claus is Comin' to Dream 2 第4話・中篇

 投稿者:稲葉一成  投稿日:2005年12月25日(日)16時16分28秒
編集済
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「……ぶわっ、冷てっっ!」
 サンタの国のソリ倉庫――所謂、格納庫と呼ばれる施設の一角に
あるシャワー室で、あるブースの前を通り掛かったイルムは、その
中から溢れてきた飛沫に思わず悲鳴を上げた。他は湯気の立つほど
熱い湯が奔流となって注がれているだけに、その冷たさはいっそう
際立つ。昼間でも氷点下20度を下回る、この極寒の地で、真冬に
冷水のシャワーを浴びる馬鹿は居ない。そんな事をすれば忽ち心臓
停止に陥って即昇天だ。しかし、そうまでしなくとも、充分な温度
の湯を使わなければ直ちにシャワーは冷え切って氷水に等しい用を
為す。――彼が使っているのは、そんな温度のシャワーなのだ。
 これはまたぞろ何かあったなと見抜いたイルムは、冷たい飛沫を
被らずに済む一角を見つけ脚を止め、木の囲み枠に身を凭せ掛けた。
「おい、ライさんよ。今時、寒垢離か?」
 ちょっと流行らない上に、時期も遅くねぇか? と、揶揄って、
イルムは軽く肩先を竦める。見ているだけで感じる寒さに耐え切れ
なくなって、再び熱湯のシャワーを浴び始めた彼とは反対に、身を
切る冷たさの冷水を頭から被ったライは、元から白い膚を紙のよう
な血色に変えて流れを止めた蛇口の下から顔を上げる。
「――そういったつもりではありません……」
 淡々と吐き、垂れ下がる髪を掻き上げた下から答えたライの声が
震えていなかったのは流石だが。その肩と云い胸と云い、直接に水
が当たっていた部分は残らず凍傷紛いの真っ赤に染まっていたのに、
イルムは顔を顰めて唸り声を立てた。
「だったら何だってんだよ、この公開マゾヒスト」
 冗談めかす言葉の端に少しの避難を籠めて告げたイルムの科白を
聞き、ライは皮肉な唇を歪めると、笑みとも嘲りともつかぬ表情を
浮かべた。
「……少し、頭を冷やしていただけです」
 そのひと言だけでピンと来たイルムは、また何かしやがったなと
確信を得て、ここ最近のニュースを脳裏に蘇らせた。
「また、今年もリュウセイは駄目だったって?」
 あっさり急所を抉るイルムの発言に、ウッと詰まる呼吸も見せず
ライは唇を噛み締める。その横顔を認め、イルムは尚も軽薄な口調
を装って彼に囁きかけた。
「だからってテメェが我が身を痛めつけたって、どうなるもんでも
なかろーがよ」
 言外に無駄な被虐は止せ、と窘める先輩の声を聞き取り、ライは
反駁するとも呼べぬ静かな調子で言い返す。
「そんな事ではない、と言った筈です」
 だからただ単に頭を冷やしていただけなのだ、と言い訳するよう
なライの口振りに、ピンと引っ掛かるものを覚えてイルムは方策を
変えた。
「そう言や当のリュウセイは今、どうしてるんだ?」
 成人試験がある数日前までは、未成年のトナカイの勤めとして、
この格納庫でクリスマスの支度を手伝っていたのである。直前には
大事をとって仕事を休ませはしたが、試験が終わってしまえば結果
の如何を問わず復帰してくるのが普通である。……それは、一日や
二日は悄気ているのが当たり前の落選組であっても、あれだけタフ
なリュウセイが、顔も覗かせないのは珍しい。そんな想いもあって
尋ねたイルムの科白は、見事にライの痛い処を撃ち抜いたらしい。
彼は冷静を通り越し凍りついた横顔に、悔恨の二文字を描いて沈黙
した。これは明らかに「リュウセイと」何かあったな、と見抜いた
イルムは、さりげない溜息を湯気に隠して吐き、そっと肩を竦めた。
「アイツなら、家で頭を冷やしています――」
 そう告げたライの言葉も、額面通り受け取る馬鹿は此処に居ない。
それでも確かに、彼らの家には居るのだなと見て取ったイルムは、
何でもない口調を装ってヒラヒラと手を振った。
「だったらさ、後でオマエん家にお邪魔してイイか? ほら、さ。
『先輩のトナカイとして』、リュウセイのヤツに助言してやれる事
もあるかも知んねぇだろ?」
 ものの見事に『』の部分だけ念押しに強調した話し方で言われ、
ライはグウの音も出ない様子で沈没する。
「……お願い、出来ますか?」
 と、辛うじてそれだけは、なけなしの理性と先輩に対する敬意を
使って吐き出したライに、イルムはニヤニヤと笑って彼の掌に自分
の手首にあるリストバンドから抜き取った金属片を手渡した。
「――何ですか、これは」
「何って、俺ん家の鍵よ」
 思わず受け取ってしまったキーを手の中で翻して尋ねたライに、
イルムは当然の顔をして真面目に返す。
「自分の家にゃ帰り辛いんだろ? だったら其処で大人しくしてろ」
 そんな格好で、その辺をウロついた日にゃ凍死すんぞと、形振り
構わなくなった相手の心情の荒れを見抜いて促したイルムに、ライ
は返す言葉も出ない様子で瞑目し、預かった鍵を有り難く掌に握り
締めた。
 ……さて、そうして一方の手の掛かる後輩の処置に目途をつけた
イルムは、長い髪を乾かすのもそこそこに、もう一匹の後輩が残る
彼らの家へと脚を向けた。ザクザクと膝まで埋まる雪を踏み分けて
抜けた黒枯れの木立ちの合間、ひっそりと佇む一軒家のログハウス
は、いつにも増して静まり返り、しんとした中に悲愴な翳を宿して
白い闇に包まれていた。
「よっこい、せっ…と……」
 普段からライに預けられている合鍵を使って、イルムは固く閉ざ
された彼の家の扉を開ける。返すかとの話もあったのだが、それは
リュウセイが正式に成人した暁に、祝いの品に代えようとの提案が
あったので、そのままになっていた物だった。
 転び入る自身と共に幾許か家の中に崩れ込んだ雪を毛革のブーツ
で蹴り出して、イルムは手早くコートに積もった氷も振り払った。
バサバサと落ちる塊もすぐには形を崩さぬほど、すっかり家の中は
冷え切っている。見れば居間の暖炉には火の気がなく、ストーブの
炎も始末されてしまっているらしい。
「おいおい、まだ中にはリュウセイが居るんだろうが」
 呆れて呟いたイルムは、その処置を施したライの意図を、後ほど
知る事となる。差し当たり自分が暖を取るために新しい薪を二つの
火元へ放り込み、ついでマッチの灯も落とし込んで炎を得たイルム
は、そんな段に至ってもコソとも現れる気配を見せないリュウセイ
の異変に気づき、訝しむ顔を上げた。あの人懐っこい仔トナカイが、
家に来客があったのに、出迎えもしないなどと言った事は考えられ
ない。ライが戻れば飛びついて「お帰り」をし、しばしば来客達の
度肝を抜いて来たリュウセイである。連れがイルムであると知るや、
以前なら「あっかんべー」をし、今はそこまでしないものの憎まれ
口の一つや二つを叩いては、ライに叱られていた。そんな彼が顔も
覗かせない――それだけの事で、こんなにも家の雰囲気は変わって
しまうものかと、今さらながらに舌を巻く想いをしながら、イルム
は充分に暖を取った炎の前から腰を上げた。
 あの気配に聡い――一般にトナカイは敏感な質の動物なのだが、
取りわけリュウセイはライの気配にだけは聡い――リュウセイの事
だ。とっくの昔に家に入って来た者の存在は感じ取っているだろう。
その相手がライではないという事も既に判っている筈だ。だったら
何故、様子見の顔さえ覗かせないのか――あれでリュウセイは良く
出来た、マメなハウス・キーパーなのだ。こんな時に姿を表さない
などと言った事は、普段なら考えられない。それとも、それほどに
彼の落ち込みは深いのか。……だとしたら厄介な、と舌打ちしたく
なるような表情で顔を歪めて、ゆっくりとイルムは二階へ至る階段
を昇り始めた。
「おーい、リューセーイ」
 リュウセイ君やーい、とフザケた調子で呼びかけながら、十数段
ほどの階段を昇り尽くしたイルムは、そこで辿り着いた二階の暗さ
にギョッとする。冬場は何処でも雨戸を閉め切っている事が多い為、
家が暗くなるのは雪国ではありがちな事だったが、そうした物理的
な暗さとは訳が違う。――否、それもあるにはあったかも知れない。
それならそれで適宜に灯が入っていて然るべき場所に、まったく火
の気が無いのである。まるで此処は廃屋か死人の出た家かと見紛う
ばかりの惨状に、イルムは今度こそ舌打ちして肩に纏わりつく髪を
振り払った。
 たかだか成人試験に落ちたぐらいで葬式でも出すような雰囲気を
醸し出してんじゃねぇよ! と、言うのがイルムの偽らざる心情で
あった。しかし、そのツッコミもまだ甘かった事を彼は直ちに思い
知る。リュウセイがこの家で暮らし始めるようになった時から場所
の変わらない彼の部屋を訪れても、中は蛻の殻だった。当座は無人
であっても、多少はチョロチョロと燃えていておかしくない暖炉の
火も、綺麗さっぱり消されて始末されている。すわ、これはリュウ
セイが出ていったかと焦ったイルムは、其処でもう一つの可能性に
思い至り、素早く踵を返した。向かう先は、この家の主人が部屋。
用意された寝室の中では、最も広い間取りとなった部屋の扉に取り
つき、それを開こうとしたイルムは、其処でガチンと噛んだ固い鉄
の物音に驚いて動きを止めた。
 見れば扉の取っ手には、見慣れぬ鋼鉄の錠前が提げられている。
その固く閉ざされた金棒が、ドアを開かせずさっきの悲鳴を上げた
のだと悟ったイルムは、
「なぁに考えてんだ、アイツは…ッ――」
 と、低く吐き捨てて身を翻した。これでは明らかに監禁である。
道理で頭を冷やす必要があった訳である。いいや、頭を冷やす必要
があったのはライばかりで、リュウセイはそのとばっちりを受けた
だけに過ぎないかも知れない。そんな事を思い浮かべながらイルム
は、飛び降りた一階の暖炉際にある隠し戸を探った。紛失して困る
貴重品は、それが鍵のようなものであってもライは自分の身に着け
ない癖を持っている事を、イルムは知っている。そうして、そんな
貴重品を何処に仕舞って置く習慣を持っているかも、すべて彼には
お見通しだった。案の定、幾つかの貴重品と一緒に、それと思しい
鍵を見つけ出したイルムは、二階に取って返して寝室の錠前にそれ
を差し込んだ。見事、カチンと噛み合わさって開いた鍵穴から鍵を
引き出し、錠前を取り払ってイルムは、軋む木の扉を押し開いた。
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Santa Claus is Comin' to Dream 2 第4話・前篇

 投稿者:稲葉一成  投稿日:2005年12月25日(日)12時03分46秒
編集済
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 全身に血が巡り、鼓動が弾けそうに高鳴る。充実していく四肢に
力が漲り、ざわめく皮膚に浮かび上がる体毛とは裏腹に、爪先まで
鋭敏に研ぎ澄まされた感覚が意識を覚醒させる。天を指して伸びる
角に重みを増した首を支えるため、肩の位置が下がり両手両足が地
に突かれるのを感じる。大きく身を震わせ伸び上がる喉から洩れる
のは、太く尾を曳くトナカイの鳴き声。――そう、一頭の若い牡の
トナカイが姿を表そうとした、その時。パチン、と泡沫でも弾ける
ような音がして、鈍い衝撃と共に全裸の青年の体躯がその場に投げ
出された。
「――リュウセイ=ダテ、不合格」
 見守る大人のトナカイである試験官が、残念そうな気の毒そうな
視線を投げ降ろし、手にしたボードに結果を書き記していく。
「次、……」
 日程の都合もあり、淡々と次の順番を促す声を投げられたリュウ
セイは、よろよろと床から身を起こした。そうして、慌てて毛布を
差し出してくれた女性の手を断り、自らの腕でコートを拾い上げ肩
に纏い着けると、悄然とした影を後に曳いてその場から立ち去った。
 ――季節は、冬。短い夏と秋を越えると、サンタの国は長い長い
雪の期間に入る。尤も、その時期こそ彼らの世界の真価。一年の中
で最も活気に溢れる季節となるのだが。その季節に、またも正式な
身分としては参加できぬ通告を貰ってしまったリュウセイは、落ち
込むなどと言った表現では、まだ生易しい落胆ぶりでもって我が家
まで帰って来た。
 その甚だしい憔悴の色から今年の試験結果を悟ったライは、何も
言えずにただ彼を出迎え、疲れただろう身体を労ってやる。努めて
平静に、普段と変わらぬ素振りで接しているつもりでいても、事前
のリュウセイの意気込みを知っているだけに、ついついその落胆に
引き摺られてしまう。……あの幼かったリュウセイも、今年でもう
18歳。今年こそはと気負っていたのも、彼らサンタのトナカイの
成人年齢が概ね17・8歳から20歳前後である事からすれば無理
もない話だった。それにライとて少しは期待していたのだ。今まで
大切に大切に慈しみ、守り育ててきた養い子が、立派に成人を果た
した証を携えて我が家に凱旋して来るのを。
 その、知らず相身互いに等しい落胆を引き摺って顔付き合わせた
食卓では、如何に取り繕うおうとも楽しい会話が弾む筈もなかった。
沈みがちな空気を辛うじて暖炉と燭台の灯によって明るめ、けれど
それ以上には、どうにもならぬ憂鬱な翳りを漂わせたまま、その日
の晩餐は終わった。いつかのように気鬱に塞いで食事を残すという
ような真似はしなくなっていたが、それでも明らかに食欲ない様子
を見せるリュウセイの後ろ姿を見送って、ライは深い溜息を吐いた。
 こればっかりは、本人の意思や努力だけでどうにかなるものでは
ない。大自然の掟と言おうか、妙なる神の采配と言おうか。その時
が来なければ、どうしようもない結果に、何と言って慰めてやれば
良いのかも解らず、ライはそんな己に失望の息を洩らす。……そう、
努力と言うなら本人に果たせる努力は、すべて尽くしているのだ、
リュウセイは。その事を言って、後は天命とも言うべき時を待てと、
そう明日は慰めてやろうと思い秘めて、ライは食卓を片づける手を
伸ばした。
 あれだけ自信があっただけに、ショックを受けているのは当然だ。
だったら、今夜ひと晩ぐらいは存分に落ち込ませて、それから少し
ずつ立ち直らせてやろう。そんな風にも考えていたライは、自分が
大きな見落としをしている事に気がつかなかったのだった。そう、
もはやリュウセイが嘗てのような、部屋で泣きじゃくっているだけ
の幼い子供ではなく、さりとて落ち着いて自分の気持ちを見据え、
我慢できるような大人でもない、複雑かつ微妙な年頃となっている
事に。――ライは、気づいていなかったのだった。
 その日の夜は、酷く風の強い晩だった。轟々と吹き荒れる氷雪の
音が雨戸越しにも窓を叩き、床さえも揺すりつける。積もった雪で
さえ風に飛ばされ、家の屋根や壁を叩いているのだろうと、ライは
心配をしながらベッドに入った。既に冬支度を終えた家は、そんな
程度では壊される心配はない。彼が心配したのは、リュウセイの事
だった。
 こんな吹雪が唸る夜は、決まってリュウセイはライの許に忍んで
来た。「ライが怖がるといけないから」と言うのが、専らのリュウ
セイの理屈であったが。本当は、まるで逆の理由からであるのは、
誰の眼にも明らかだった。この家にリュウセイを住まわせてからと
言うもの、ずっとライは彼と自分の寝室を分けて来た。それは彼の
身の安全を考えて、と言うよりは単に躾の都合だった。如何に幼い
子供とは言え、最初から甘やかしていては彼の為にならない。自立
した大人になる為には、小さな内から己の起居や生活に責任を持つ
習慣をつけさせなければ。そんな建て前は、リュウセイの泣き声の
前に往々にして打ち砕かれていたのだが。それでもライは、厳然と
して己が立てた一線を自ら崩す事はしなかった。
 「おやすみなさい」と挨拶をして向かうのは、それぞれ別の寝室。
その後で、どんな理屈を捏ねてやって来たとしても、それは別の話。
そうして、ひと晩だけは「今日だけだぞ」と言って一緒に寝る事を
許しても、それ以上にはリュウセイが寝室へ入り浸る事を、ライは
認めた事がなかった。それは、どんなに彼が泣き喚いても叫んでも。
何となれば居間で夜明かしし、彼が寝つくまでソファーの上で頭を
撫でていてやった事もある。……それでは何の意味もないではない
かと言われそうなものだったが、それがライの決めた約束だった。
 しかし、そんな事も今ではもう、昔の話になってしまった。あれ
だけ夜や孤独を怖がったリュウセイも、長じると共に強かさを増し、
今や吹雪が舞った程度では不安がらなくなってしまった。たまには
こんな風に落ち込む事があっても、ひと晩もすればケロリと治って
元気に起き出して来る。そんな成長の度合を頼もしく思いつつも、
ほんの少しの寂しさを伴ってライは、胸に蘇らせていた。
 流石に、今度の落ち込みはひと晩やふた晩では立ち直らないかも
知れないが。それでもいつか吹雪にも切れ間が訪れるように、再び
笑って起きてくる日が戻るだろう。それまでしっかり支え見守って
やれば良い。そんな風にも考えていたライは、不意にノックもなく
開いた寝室の扉に、怪訝な眼を向けて振り返った。
「――リュウセイ、…?」
 そう呼びかけたのは、昔の話を思い返していた、追憶の延長線上
だった。こんな嵐の夜は、よく音もなく部屋に忍び込んできては、
ものも言わずベッドに潜り込んで来た。それをライが叱り咎めれば、
青褪めてカタカタと震える顔を無理な笑みで引き攣らせ、「ライの
為だ」と。そう言ってリュウセイは、――。そんな風に珍しく夢現
の中で想い巡らせていたライは、だから反応が遅れた。いつになく
蒼白い顔色をしたリュウセイが、次に取った行動の意味を悟るのに。
 真っ暗な部屋の中、暖炉に残る微かな燠火の灯を頼りに戸口から
歩み寄ったリュウセイは、ベッドに横たわるライの上に素早く跨る
と、その肩を覆っていた毛布を脱ぎ落とした。毛足の長い、厚手の
毛布に包まれていた、その下のリュウセイはまったくの裸身だった。
何一つ身に着けられていない、一糸纏わぬ素肌を晒してリュウセイ
は、低く呟くように、こう言った。
「……抱けよ。」
 その言葉に眼を瞠き、ヒュッと喉を鳴らして息を呑んだライの顔
を真っ向から見据え、リュウセイは炯々と輝く瞳を瞬きもせず彼に
宛てて、小さく唇を震わせる。――その様が、その逸らされもせぬ
眼差しが、リュウセイの泣く前の表情だと知っていたライは、驚き
に二の句も継げぬ状態のまま、強張ったように彼の容貌を見つめて
いた。
「オマエの、所為だ。オマエの…、ライの所為だ…っ…。オマエが、
ライがオレのコト、抱いてくれないからっ…、オレを…愛してくれ
ないから、だから…っ――」
 肩から滑り落とした毛布を辛うじて腰に纏わりつかせ、布団越し
ライの下腹に馬乗りになったリュウセイは、そう言ってライの胸倉
を掴み上げる。その支離滅裂な、それでいて何を言わんとするのか
は明白な科白を耳にした瞬間、ライはカッと眦を切れるほど瞠いて
拳を振り上げた。
 バン…ッ、と激しく鳴ったリュウセイの頬を張り飛ばした腕は、
辛うじて右の平手だった。しかし拳を握り締める左の義手は、既に
カタカタと小刻みな軋み音を立てて震え、次に何かあれば必ず振る
われるだろう予兆を孕んで強張っていた。
「――出て行け…」
 俯いたライの口から吐かれた科白は、その憤りを露わにする全身
の震えとは裏腹に、低く凍てついて聞こえた。いや、それ程までに
彼の腹腔を満たす怒りの炎は、激しかったのか。温度の上限を振り
切って、氷点下まで直落するほどに。その凍える刃のような言葉を
聞き、ハッと我に返ったリュウセイは愕然となる瞳を瞠いた。そう
して震え始めた彼の眦から、ひとつ、またひとつと零れ始めた涙に
も構わず、ライは満腔の怒りを振り絞って一喝した。
「……貴様のような愚か者の顔など、俺は二度と見たくもないッ!
今すぐに此処から出て行け――ッッ!」
 まるで雷のような怒声に打たれ、茫然自失となったリュウセイは
ペタン、と、その場に腰を落とした。そうしてただ為す術もなく、
壊れてしまったようにホロホロと涙を落とすリュウセイの顔を認め、
ライは鈍く舌打ちすると自ら寝床を蹴ってベッドから降り立った。
「……ぁ、あ…、あぁ…、あっっ!」
 その余波に撓んだベッドの振動で、やや正気に返ったリュウセイ
が、声にも言葉にもならぬ悲鳴を放って追い縋る腕をライに伸ばす。
けれどライは、その指先さえも無慈悲に振り払ってリュウセイには
背を向けた。
「あ…っ、ぅあ! ゃだ…、やだっ…ライ、ライディースぅ…っ!」
 伸ばした腕は遂に届かず、掛けた筈の指も敢えなく扉に遮られて
リュウセイは、自分の爪に棘が喰い込むのも構わず戸板に手を打ち
付けた。しかし、そうして叩いた扉の向こう、外から重々しい錠の
掛けられる物音を聞き取ってリュウセイは、身も世もなく泣き叫ぶ
絶叫を放った。
「ゃだっ、ぃやだ…っ、やだぁああああっ! うぁああああっっ!」
 恥も外聞もなく泣き喚き、何度も何度も解放を願って戸板に拳を
打ち付けるリュウセイの悲鳴を聞いても、ライはその鍵を外す事は
しなかった。そうして彼の部屋の扉は、次の日の夜明けになっても
開かれる事は無かったのだった。
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Santa Claus is Comin' to Dream 2 第2話・完結篇(下)

 投稿者:稲葉一成  投稿日:2005年12月24日(土)23時02分26秒
編集済
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 どうしてそんな大事なことを自分に話さなかったのだ、とリュウ
セイを叱りかけたライは、それ以前に自分が聞こうともしなかった
のだと悟り、咄嗟に言葉を呑んだ。一度は突き離したリュウセイの
身体を、再び胸に惹き寄せてライは、そっとそっと彼の体躯を包み
込む。それは相手を落ち着かせるためと言うよりは、真っ先に自分
が安堵したいが為の動きであったように感じられた。そうして抱き
締めたリュウセイの背中を、優しく撫で擦りながらライは、努めて
平静を装った声で彼に問い掛ける。
「――それで、何処の具合が悪いんだ?」
 想えばイルムも、そんなような事を言っていた気がする。突然の
椿事で頭に血が昇り、正気も理性も失っていた自分の迂闊さを悟り、
ライは盛大に顔を顰めながらリュウセイに囁いた。その声を聞いた
リュウセイは、ビクンッと大きく背中を揺らし、カタカタと小刻み
に肩を震わせた後で、漸く彼の右手を取り自分の身体の一箇所へと
導いていった。
「……こ…こ、ここが…、その――…」
 気恥ずかしさと恐怖に竦むのか、蚊の鳴くような細い声で呟いた
リュウセイは、それきり黙り込んで、けれど重ねたライの手に縋り
つくように、絡めた指先を強く握り締めた。そうして導かれた場所
――下腹の最果てに掌を当てたまま、ライは茫然となる眼差しで彼
の養い子の姿を見た。硬いデニムの生地に覆われた其処は、同性で
ある証を裡に秘めて膨らんでいたが、それ以上、おかしな点がある
ようにはライには思われない。だが、今でさえこんなに震えている
リュウセイに、これ以上、言葉で問い質すのは酷な仕打ちのように
感じられ、ライは低く呼気を詰めると間近にあるリュウセイの耳に
囁きかけた。
「――脱いで、見せて貰っても良いか?」
 精一杯の気遣いを籠めて寄せられた言葉に、リュウセイは赤らむ
目許をギュッと瞑って頷くと、唇を噛み締めたまま少しだけ我が身
をライの傍から離した。しっかりと抱き支えてくれるライの腕に腰
を預けたまま、リュウセイは少しずつ手脚をズラして下腹を覆った
ジーンズを脱ぎ降ろしていく。下着もひと纏めに降ろしたジーンズ
の腰が、太腿を通り膝裏に達する頃には、耳朶の端までも真っ赤に
してリュウセイは立ち竦んでいた。それを眼にしたライは、残りの
先は自分が手早く抜き取ってやって、改めて彼の身体を自分の膝に
座らせる。
「脚を、開いて……」
 恥ずかしがって脚を閉じ、掌で覆って其処の場所を隠そうとする
リュウセイに、それでは良く見えないと促してライは、傍らに落ち
ていた毛布を拾い上げた。暖炉に燃え盛る火のお陰で、狭い部屋の
中は充分な温みがあったが、それだけでは半裸のリュウセイが寒い
だろうかとライは気を遣ったのである。しかし、それをリュウセイ
は断って、ゆっくりとライの膝の上、大きく脚を開いた。ライの胸
に背を預け、両脇を支えてくれる腕に手を当てて、下から掬い上げ
てくれるような膝に腿を掛ければ、幼いリュウセイの身体では隠す
ものなどなくなってしまう。もう首筋までも真っ赤に染めたリュウ
セイは、忙しなく鳴る鼓動に追い詰められた息を吐きながら、潤む
瞳で自分の下腹を覗き込んだ。
「――こ…こ、ここ…っ、ライ…っ……」
 此処なのだ、此処が変なのだと訴える言葉を皆まで言えず、切れ
切れに弾む息を掠れさせるリュウセイを、ライは優しく抱き留めて
彼の下腹に腕を伸ばす。改めて自分で覗き込むには羞恥が強すぎる
のだろう其処を、彼は素早く自分の掌の中に包み込むと、ゆっくり
辿る指で触診を始めた。寒さと羞恥で竦み、小さく震えている以外
には、リュウセイの其処は年相応の姿形で、何の異常も見受けられ
ないように感じられる。しかし、――。
「……此処、が?」
 どうしたんだ? と、問いかけたライは、その手の中で起こった
異変に気づき、ハッと息を呑んだ。――いや、それは異変などでは
なく、リュウセイが正しく『年相応』であるのなら、起きてもおか
しくない現象であった。しかし何も知らない――それは当然だろう、
ライが教えていなければ、他に知る術もないのだ。それこそイルム
に頼るか何かでもしない限り――リュウセイは、「それ」が起こる
筈のない異常だと感じて怯え、震え上がっている。
「ぁ…、あ、ゃあ…、ダメ…ぇ……」
 優しく輪郭を辿り、撫で擦る動きだけでも堪らない刺激に感じて
いるのだろう、リュウセイは身を捩って何度も髪を振りたくった。
ましてや他人の手に、そんな風に触れられるのは初めての事で――
信じられない感覚に戦慄するリュウセイの下腹では、彼の性の証が
秘かに勃ち上がり、膨らみを増していた。その、熱を帯びて脈打つ
存在を掌に確かめ、ライは鈍く息を呑む。考えもしない『病気』の
在処であった。……いや、それは。
「――リュウセイ。リュウセイ、これは病気じゃない」
 病気なんかじゃないんだと、何度も噛んで含めるように彼の耳に
言い聞かせ、ライはリュウセイの身を抱く腕を強くした。その一方
で彼は、相手の下腹を包み込んだ掌を滑らせ、そのなめらかな肌に
覆われた幼い性を、何度も指先で擦り上げる。
「あっ、ぁ…、んぁ…っ、ゃあっ……」
 忽ち上り詰めて身を反らせるリュウセイに、抱き支える肩と胸を
差し出してライは、宥めるように幾度も彼の耳や項、首筋にキスを
贈る。
「リュウセイ、これは大人の徴だ。成長すると男は誰でも、こんな
風になる――」
 怯えや恐怖を払拭し、ただただ生理的な快感が全身を浸すように
加減してやりながら、ライはリュウセイの耳に囁きかける。すると
リュウセイは、ハ、ハ、と短く掠れる息を吐きながら、反り返る背
と首筋を捩らせて逆向きにライの顔を覗き込んだ。
「……オト…ナ? オレ、大人に…なったの…?」
 少しの期待を籠めて呟くリュウセイに、ライは優しく頭を振って
苦笑した。
「その、準備が出来ただけだ」
 まだまだ、毛も生え揃わないうちは大人とは言えないな、と冗談
めかしたライの言葉を聞いて、リュウセイは口惜しげに唇を噛む。
真っ赤になって潤んだ瞳を俯かせ、けれどもそれで泣かないように
大きく眦を瞠ったリュウセイは、優しく自身を包むライの腕に背を
預けながら呟く。
「誰…でも、って…ライも…、なる?」
 ライの身体も、こんな風になるのかと無心に尋ねたリュウセイの
科白に、彼は微笑って頷く横顔を、キスの仕草に添えて相手の首筋
に埋めた。
「――ああ、なるよ。こんな風に、……」
 なる、と甘く囁く低い声と同時に熱い吐息を耳殻に吹き込まれ、
リュウセイはビクッと震え上がると爪先まで反り返る片脚を跳ねさ
せた。それで一瞬、飛びかけた意識をどうにか持ち直して、リュウ
セイは眦いっぱいに泣き濡れた瞳を振り返らせた。
「でも、オレ…ライじゃないと、しないよ? ライのコト考えない
と…こんな風に、なんない。――ライは、どんな時に…なるの?」
 そのひたむきな眼差しを見せられた瞬間、身の裡に奔った疼きを
ライは強く噛む奥歯で押し殺して眉を顰めた。細く吐く呼気で熱を
散らし、止まりかけた掌を再び動かして彼は、甲高く悲鳴を上げて
仰け反ったリュウセイの髪に顔を埋めた。
「……それは、オマエが本当に大人になった時、教えてやるよ――」
 それまでは秘密だと、虚しく囁く言葉はリュウセイの耳に届く事
はなかった。また、それをライも望んではいなかった。ただ彼は、
その腕の中で初めて達した愛し子の姿を、深い慈しみを籠めて抱き
締めていただけだった。
「んぁ…っ、あぁっ…、ライっ、ライ…ライディース…ぅ……」
 何度も身を震わせ、か細い悲鳴に我が名を呼ぶその声を、いつか
失うかも知れない怯えに慄きながら。

         *  *  *  *  *

「――って、そりゃ犯罪…っっ!」
 ある朝、そんな事を叫びながら飛び起きたリュウセイは、それと
同じ動きで即座にガバッと、自分の被っていた毛布を引き剥いだ。
「………、セーフ……」
 何がセーフなのかと、聞く者が居たならツッコまれそうな科白を、
深々とした溜息に混ぜて洩らした彼は、持ち上げていた毛布を直ち
に元の位置へと戻して天を仰ぐ。その寝惚け眼が朦朧としているの
は、単に眠気が残っている為ばかりでなく、さっきまで見ていた夢
の中で味わった刺激的な感覚を不可抗力で反芻しているからだ。
「………、………、……ふー…」
 漸く「収まって」きた感触に、リュウセイは深く溜息を吐いて肩
を落とした。考えてみれば、この処お互いに忙しくて御無沙汰して
いたばっかりに、あんな夢を見てしまったのかも知れない。それも
これも冷淡で淡白で、あの年にして枯れ切ったような恬淡しか見せ
ない――その癖、ひと皮剥けばどんなケダモノか知れない――相棒
が悪いのだ! と、拳を振り上げたリュウセイは、怒るとまたぞろ
鎌首を擡げだしそうな自身に気づき、慌てて下腹部を押さえ蹲った。
「――風呂でも入ろ。」
 さもなくばトイレで抜くか、などと考えてリュウセイは、静かに
ベッドの上から滑り降りた。そうしなければ下腹に溜まった熱が、
暴発寸前の危険を帯びて身に迫っていたからだ。結局、シャワーを
浴びて宥めたリュウセイは、その後、朝食の席で会った彼の相棒と
流石に眼を合わせる事が出来なかった。そうして日がな一日、見事
にリュウセイから視線を逸らされ続けたライが、相手に何かしたか
と夜も眠れぬ煩悶に苛まれたのは、また別の話。
*******************************
 

Santa Claus is Comin' to Dream 2 第2話・完結篇(上)

 投稿者:稲葉一成  投稿日:2005年12月24日(土)20時27分22秒
編集済
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 轟々と降りしきる雪の中、途中からはぐれてしまわぬよう、腕に
養い子を抱き上げてライは家に帰って来た。玄関から中に入るなり、
その場にリュウセイを降ろし、彼の両肩や頭に積もった雪を手早く
払い落としてやる。そうした荒々しい仕草が彼の感じている怒りを
如実に示しているような気がして。リュウセイは怯える身を小さく
縮こまらせると、ただライに為されるがまま、雪を払い除ける彼の
掌を受けとめていた。
 そんなリュウセイの竦んだ姿を見下ろし、ライは鈍く溜息を吐く
と、彼の肩から雪に濡れて重たくなったコートを引き取り、そっと
その背を部屋の奥へと押し出した。突き放されるのかと恐れる瞳を
擡げたリュウセイに、ライは苦笑混じりの双眸を眇めて膝を突く。
「……部屋へ。先に部屋へ行って、着替えを済ませるんだ」
 そのままでは風邪を引く、と促すライに、リュウセイはコクリと
頷いて数歩、後退る。それでも彼と離れ難いように唇を噛み締める
養い子の頬へ、ライは躊躇った末、冷たい右掌を押し当てて、そこ
を優しく撫で擦った。
「此処の始末をして暖炉に火を入れたら、俺も後からオマエの部屋
へ行く――」
 そうしたら、と其処で一度、言葉を切ったライは、思い出すだけ
で未だ胸に憤りの炎が渦巻くのだろう、荒んだ息を低く吐き出すと、
そうして怒気を鎮めた後で再びリュウセイの顔と向き直った。
「そうしたら、何故こんな事になったのか、きちんとオマエからも
話を聞く」
 だからそれまで暖かくして、しっかり気を落ちつけていろ。と、
そう厳しく言い聞かされてリュウセイは、漸く頷く首を縦に振った。
そして大人しく踵を返し、足早に自分の部屋へと戻っていく、その
気落ちした風情の後ろ姿を見送って、ライは微か呻くような苦鳴を
洩らした。張っていた気持ちが弛むと、先程イルムから見舞われた
腹への膝蹴りの一撃が、今になって効いてきた。だが、そんな肉体
の痛みよりも、さっき見せられたリュウセイの表情の方が、よほど
胸に堪えて身を苛むのを感じ、ライは眉宇を顰めて瞑目した。
 今日ほど自分が情けなく思えた日はない。――いや、違う。この
義手を身に着けた時以来だと、凍える痛みに軋む肩の接合部に指を
喰い込ませ、ライは虚しく唇を噛んだ。だがそれを誰に何と言って
打ち明ける訳にもいかず。ただ砂を噛むような沈黙を食んで彼は、
ゆっくりと床の上から腰を上げた。室内の気温に溶けた雪は、ポタ
ポタと雫を垂らして床に落ち、のみならずコートにも染みて重たく
ライの身に纏わりついた。その水溜まりのすべてを、まるでリュウ
セイの流した涙のようだと感じながらライは、静かに自分の肩から
もコートを脱ぎ落とした。まずは暖炉に火を入れて、雪と水の始末
はそれからだと考えながら彼は、「そう」する事で自分が先延ばし
にしようとしている問題の在処を想い、そっと嘆息する呼気を白く
胸元に吐き出した。逃げて逃れられるものならば、とっくの昔に楽
になっている気がする。そうする事が出来ないからこそ悩むのに、
この上、何を往生際悪く惑うのか。そんな風に考えれば彼は、自身
の情けなさに失笑する事も出来なかった。
 リュウセイの姿が消えた二階の部屋からも、ガタゴトと暖炉に薪
をくべ火を入れる物音が響いてくる。何時までも自分も呆けている
訳にはいかないと、気を取り直してライは湿った衣服のままその場
を離れた。重ね合わされた毛皮のコートだけが、グッショリと水を
吸って焦げ茶色に変わり、ぬくもりゆく部屋の中に蟠っていた。
 自分の部屋に上がったリュウセイは、ライに言われた通り着替え
も済ませ、中にある暖炉に火を焚こうと急いでいた。我が身の事は
後回しにしようとする癖のあるライは、きっと来るなら指先までも
冷え切って部屋に入って来るに違いない。だからせめて、部屋の中
だけでも暖かく整えて待って居ようと、そう考えて勤しむ指先に、
その時、ポツリと大粒の涙が零れた。
「あ…、ぁ……」
 怺えようと思うのに、涙が後から後から零れてきて止まらない。
気を落ちつけて置けと言われたのに、これではまるで逆ではないか
と想い、リュウセイは慌てて両手で涙を拭う。けれど、止めようと
すれば止めようとするだけ、彼の眦からは涙が溢れて溢れて止まら
なかった。
 ――どうして駄目なのだろう? こんなに、ライが好きなのに。
どうして自分は彼の言い付けを守るどころか、きちんと大人になる
事さえ出来ないのだろう。そんな風に想えば想うほど、リュウセイ
の眼から涙は溢れて止まる事が無かった。
 どうにか火を入れ、勢いの良い炎が踊り始めた暖炉を見つめて、
リュウセイは溢れる嗚咽を喉にしゃくり上げた。昔の自分の方が、
もっと強かった気がする。どんなに哀しくても辛くても、泣かない
ように怺える事が出来たのに――。そう考えるリュウセイは知らな
かった。自分の背丈が伸びた分だけ、見えるものも増え、そうして
触れるすべてのものが、豊かになった胸の琴線を揺らして、様々な
心の音色を奏でるようになったのだと言う事を。些細な事にも――
いや、それは必ずしも些細だなどとは言い切れないのだが――涙が
溢れるほど気持ちが動いてしまう、それこそが大人の階段を昇る彼
の、成長の証なのだと言う事を。
「――リュウセイ、……」
 鈍くノックする音の後、「入るぞ」と短く言い置いて扉を開けた
ライの姿を振り返り、リュウセイは慌てて泣き濡れた眦を拭いた。
だが、そんなその場凌ぎの仕草で誤魔化されてくれるような相手が
ライではなかった。明らかに泣きじゃくっていたリュウセイの顔を
悟り、ライは沈鬱な表情で眉宇を顰める。何と言って切り出すか、
幾通りも考えてきた筈の科白はどれも、彼の口から形をとって洩ら
される事はなかった。その代わり鈍い溜息を吐いてライは、リュウ
セイを彼のベッドの上に呼び寄せた。
 此方へおいでと促されるまま、躊躇いがちにライの傍へと寄って
行ったリュウセイは、少し離れた彼の隣に腰を下ろした。そんな風
にして置かれた距離を、切なく認めてライは手にした毛布をリュウ
セイの両肩に投げ掛ける。ポン、と頭に置かれた掌は、普段通りの
優しさを秘めていたけれど、それに今は何かの躊躇いが籠められて
いる気がして。リュウセイは弾かれたように俯いていた顔を上げ、
傍らに座すライの横顔を振り仰いだ。
「……リュウセイ。オマエ、イルム先輩の所に行くか?」
 此方を返り見ないままに、奈辺を見つめたライの瞳は、酷く穏や
かな光を浮かべてリュウセイに、そう言った。その静けさを、信じ
られないものでも見るように眺めたリュウセイは、はち切れそうに
瞠いた眦を震わせて大きく息を詰めた。
「な…んで、なんで…っ、ライ、なんで…っ?」
 驚きのあまり「なんでそんな事を言うのだ」と、ただそれだけの
科白も紡げずリュウセイは、何度も言葉を吃らせる。そんな彼を、
ライは自分の方が驚く顔をして振り返り、そっと自嘲じみた嗤いで
口元を引き攣らせた。
「その方が、オマエにとっても良いだろう――」
 そんな俺の顔も見たくないほど部屋に籠もるくらいなら、いっそ
住む家を変えてしまえば良い。何の相談も持ち掛けられないような
信用ならぬ相手と暮らす負担に比べたら、同族同性の年長者の許で
過ごした方が、きっと楽に違いない。……そんな科白のどちらもが、
あまりに浅ましい嫉妬と醜い逆恨みに彩られている気がして。ライ
は言葉にする勇気を選べず曖昧に語尾を暈かし、静かに落胆の息を
吐いた。
 やはり最初から自分には無理だったのだろうか。幼い子供の心情
を理解し、その相手を健やかに育て上げるなどと言う仕業は。そう
想えば、イルムの言葉もリュウセイの涙も、ライは素直に受けとめ
られる気がした。そう、最初から自分が間違っていた。過ちを犯し
たのだ。――だから。今、この胸を穿つ痛みは罰。こんなにも大切
に想っていた養い子を今さらに手放して、それで淋しく感じる孤独
は、至らなかった自分への、相応の罰なのだと。そんな想いを脳裏
に弄んでいたライは、不意に己の胸に飛び込んできた重みに気づき、
ハッと顔を上げた。
「……ど…して、どうしてそんなコト言うんだ。どうして…っ――」
 イヤイヤをする風に振りたくる首を胸元に埋め、泣きじゃくる声
を嗄らすリュウセイの言葉を聞き、ライは茫然となる双眸を瞠く。
その青い瞳を真っ向から覗き返してリュウセイは、真っ赤になった
頬と涙目を震わせた。
「オ…レ、はっ…、オレはライのコトが、好きなのにっ! ライと
いっしょにいたいのに! オレはライのトナカイになるのにっっ!」
 駄々っ子のように繰り返し、縋りつく胸元のシャツを掴み上げる
ようにして揺さぶるリュウセイの姿を、ライは呆気に取られた表情
で見つめ、我知らず彼の体躯を膝上に抱き寄せる。そうしてやらな
ければ相手がバランスを崩し、今にもベッドから転がり落ちそうに
見えたからだが、それだけがライの腕を動かした理由ではなかった。
むしろそうした無意識な仕草の方が、彼の素直な本音を表している
行動だったかも知れない。……リュウセイを何処にも、誰の許へも
手放してしまいたくなどないと言う。
 そんなライの腕に抱き寄せられるまま、ギュッと彼の背中に手脚
を絡めたリュウセイは、その逞しい首筋に顔を埋めて縋りついた。
予想通りほんの少し冷えて、けれど確かなぬくもりの影を潜めて脈
打つライの鼓動を聞くと、リュウセイは自分がまだ小さかった頃に
戻ってしまうのを感じる。そうして幼かった頃そのままに、地団駄
踏む素振りで四肢を藻掻かせたリュウセイは、しっかとライの身体
にしがみついて彼の耳に噛みついた。
「……ヤダ。もう、ヤダ。オレはもう、離れてやんない。ライから
離れてなんかやんない。大人になれなくても、病気になってても、
オレはライから離れないからっっ!」
 そう、何度も繰り返し言い募ったリュウセイの言葉を聞き、俄か
に焦ったのはライの方だった。
「――病気だと!?」
 何処だ、何処が具合が悪いのだと血相を変えたライは、囓りつく
リュウセイの手脚の強さにも関わらず、彼の身体を一旦、自分から
引き剥がし、その隅々まで検分する視線を巡らせた。その眼に晒さ
れたリュウセイは、今さらながら自分が彼に隠していた秘密の在処
に思い至り、カァ…ッと鮮やかに赤く頬を染めて唇を噛む。
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Santa Claus is Comin' to Dream 2 第2話・後篇

 投稿者:稲葉一成  投稿日:2005年12月24日(土)16時10分50秒
編集済
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「あのな、リュウセイ。そりゃ――…」
 優しく彼に説き聞かせかけた処で、不意にイルムは口を噤んだ。
ここでリュウセイに「それは病気ではない。ただ単にオトナになる
準備が出来はじめたのだ」と言ってやるのは簡単だった。その後の
事まで教えてやっても構わない。しかし、それでは面白くない――
もとい、ライの為にはならないばかりか、リュウセイの為にもなら
ないではないか。そう思い定めたイルムは敢えて自分が憎まれ役を
買って出る事にした。……こんな美味しい――いや、デリケートで
繊細な問題を、おいそれと他人に話してはならないのだ。それは、
真っ先に養い親のライと語らい処置すべきもの。そうでなければ、
どんな災厄を招くか、ここらで一発、彼に――そうして彼の養い親
にも教えてやるべきだろう。そんな風にも考えたイルムは、リュウ
セイには見えない位置で両手を合わせて合掌し、深く瞑目して礼拝
を済ませた。その祈りが、果たして誰に捧げられたものかは敢えて
深く追及せず。イルムは椅子から半ばズリ落ち、自分の膝へと滑り
降りて来ようとしていたリュウセイを、元の位置まで抱え上げ座り
直させた。
「……リュウセイ、脱げよ」
 唐突に鋭さを増したかのように思える声でイルムから命じられ、
リュウセイは驚いて泣き濡れた瞳を跳ね上げた。振り仰ぐイルムの
顔は、上辺は優しく微笑っている。しかし、その血の色に似た双眸
だけが表情を裏切って、冴え冴えとした光に満たされているのに、
リュウセイは今さらの恐怖を感じて震え上がった。ビクンッと大仰
に肩を跳ねさせ震え上がったリュウセイの態度を、望ましい反応だ
と胸に秘か思い潜めながら、イルムは殊更に厭らしげな態度を取り
繕って強引にリュウセイの膝を開かせた。
「実際に見てみねぇコトにゃ、ホントにオマエのカラダがオカシく
なっちまったのか、良く解んねぇだろ?」
 尤もらしい事を嘯きつつ、イルムは手際よくリュウセイの腰から
下穿き一式を剥ぎ取り、忽ちに彼の尻を裸に剥いてしまう。
「――ぇ、わ…、ゃあっ!」
 思い出したように抗ったリュウセイが手足をバタつかせても、時
既に遅し。呆気なく素肌を晒させられてしまった下肢が、忍び寄る
冷気にサッと鳥肌を立てる。如何に暖炉の傍で温められた場所とは
言え、裸になるには此の地の真冬の寒さは厳しい。そしてそれだけ
ではない言い知れぬ恐怖と危機感のようなものを覚え、リュウセイ
は慌てて剥き出しにされた股間を両手で押さえると、ペタンと尻尾
の先まで下げて丸め、蹲る膝で腰を庇った。
 だが、そんなリュウセイの幼い抵抗など手慣れたイルムからして
見れば有って無きが如し。と、言うよりも、本気で攻め落とす気の
ない彼にとっては関わりの無い話だった。イルムとしては、ほんの
ちょっとリュウセイに恐ろしい思いをして貰い、それで彼にとって
の「ライ」と「それ以外の人」との違いを解らせてやろうと、その
程度の思惑しかなかったのである。ただそこで、僅かばかりの演出
過剰と、些か興に乗りすぎた調子の良さが発揮されてしまったのは、
彼の性分からすれば仕方のない事だった。
「……ほら、ライの事でも考えてみろよ。どんな風になっちまうん
だって?」
 まさにハマり役と言うしかない、イケナイお兄さん――もとい、
強姦魔と紙一重なイルムの妖しい囁きを受け、リュウセイは思わず
獣態に戻ってしまった耳朶を小さくピルビルと震わせた。
「ぁ…、あ、ゃ…っやだ、ぃやだ…――」
 イヤイヤと頭を振ってリュウセイは、股間を庇った手を引き剥が
そうとするイルムに抗う。しかし片や百戦錬磨の愛の狩人(笑)、
片や経験値どころか知識も技量も伴わない「お子様」が相手である。
あっと言う間に手指も腰から外され、万歳ポーズで腕を頭上に掲げ
させられて、リュウセイは切羽詰まった泣き声で悲鳴を放った。
「やだっ、やだっっ、こんなん…やだ――ライぃぃっっ!」
 その瞬間、蹴破る勢いで開いた扉に、三者三様――そう、それは
入って来たライ本人でさえも――呆気に取られた顔を浮かべて立ち
竦んだ。
「……イルム…先輩、リュウセイの奴が…此処に――」
 この猛吹雪の中、家に残されていた書き置きを見て追って来たの
だろう。真っ白い息を蒸気のように吐き出しながら、切れ切れの声
を押し出したライは、其処で完全に思考を停止した。
「――ぁ、ラ…イ…?」
 部屋の片隅、暖炉際に置かれた椅子から、信じられぬ瞳を瞠いて
彼を見返すリュウセイの格好は、下半身剥き出しの半裸姿。そして
そんな彼を今にも襲わんばかりの体勢で身構えているのは、さっき
まで信頼し相談に乗って貰っていた雇いトナカイ兼、先輩のイルム。
そのイルムはライの姿を認めるや悪怯れた素振りも見せず肩を竦め、
折角の『おイタ』も此処までか、と諦める風情で両手を持ち上げて
見せた。そんな二人の有様を眼にした瞬間、ライの中の理性は綺麗
さっぱりブチ切れていた。
 氷雪に塗れ白と茶の斑と化したコートをその場に脱ぎ捨てると、
ライは物も言わず真っ先にイルムの許へと歩み寄った。その一直線
の距離がゼロに縮まると同時に、彼は自分が「先輩」と呼んだ相手
の胸倉を掴み上げ、引き摺り寄せた横顔を力任せに殴り飛ばした。
そうする為に使った腕は右――流石に鋼の義手で生身の相手を殴り
飛ばすなどという無茶を冒すまでの理性は飛んでいなかったものと
見える。だが、それがライの精一杯の限界だった。
 渾身の力を籠めた一撃をモロに横顔へと受け、部屋の隅まで吹っ
飛んだイルムを許さず、尚もライはツカツカと彼の方へ近寄って、
胸倉を掴み上げて立たせた彼に第二撃を見舞おうとする。しかし、
最初の一発だけは――己が所業の負い目もある――黙って受けたが、
それ以上は甘んじて喰らってやるつもりのないイルムは、すかさず
ライの両手を振り払うと、ガラ空きになった彼の腹部に容赦のない
膝蹴りをブチ込んだ。
「――ガッ…、ハ……」
 思わぬ反撃を喰らって身を折ったライは、息を詰めて二、三歩、
後ろに蹈鞴を踏んだ。その様を冷淡に見下ろしてイルムは、口中に
溜まった血を唾と共に暖炉へ向けて吐き捨てる。養い親と、それに
準ずる保護者の突然の暴力的な遣り取りに、ただただ怯えて竦んで
しまっているリュウセイを認め、イルムはチョイチョイと床の衣服
を指さして「早く身に着けろ」と手早いブロックサインを送ると、
改めて目の前に伏すライの姿と向き直った。
「怒る相手を間違えてんじゃねぇのか?」
 ――なぁ、ライさんよ。と、こんな時ばかりサンタに対する丁重
さを語尾に漂わせ、イルムは切れた唇の端から滴る血糊を拳で拭い
取った。
「テメェがキチンとリュウセイのコト、見てやらねぇからコイツは
俺の所に来たんだろうが」
 内容としては間違っていないのだが、何とも含みに富んだ言い方
である。それを聞いたライは思わず、クッと詰まる息に鈍い悔恨の
苦みを噛んだ。
「――それでも、やって良い事と悪い事があるでしょうッ!」
 それで血の気の昇った頭に冷水を浴びせられたか、多少、正気に
返ったライが、なけなしの敬語を操ってイルムに吠え掛かる。だが
その咆吼も、馬耳東風と聞き流す素振りを見せてイルムは、耳穴を
穿る小指を側頭部で回すと、引っ張り出したその爪先をフッと吹き
払う仕草で返礼に代えた。
「あぁ? 聞こえねぇな? テメェの怠慢、棚に上げて他人に道徳
の説教か? それならさっきの拳の方が、よっぽど効いたな……」
「貴ッ様、言わせて置けば――ッッ!」
 これには完全に意識を踏み躙られたライは、先輩に対する遠慮も
会釈もあったものではない雄叫びを上げ、再び殴りかかる拳を振り
翳した。……と、その腕に後ろから、まさしく全身の体重を掛けて
ブラ下がるという渾身の力を籠め、引き止めにかかった影があった。
「……ゃ、め…ヤメて…、もぅ…ライ、ヤメて…ぇ――」
「――リュウセイ!?」
 それは誰かと、振り向くまでもない話。プランと垂れ下がった脚
をバタつかせ、リュウセイは半泣きの顔に耳さえ伏せてライに訴え
ていた。その泣き腫らした目許の赤みは見た限り、イルムの所業に
よって増えたものではなかった。彼が言うように、明らかに自分の
怠慢から出たものだと、いま改めて思い知ったライは唸るような息
を吐いて、振り上げていた拳を下ろした。遣る方ない怒りを籠めた
腕は彼自身の腿に叩きつけられ、鈍く鳴って空を切る。
 それを汐時だと察したイルムは、腕を伸ばして届く位置にあった
ラックから、其処に吊り下げられていたリュウセイのコートを手に
取ると、そいつを持ち主に放り被せて踵を返した。そのまま今度は
玄関際まで移動して、床に脱ぎ捨てられていたビショ塗れのコート
を拾い上げ、それを容赦なくライの頭に投げつけて片手を振る。
「さぁさ、テメェらの事が解ったんなら、お帰りだ。俺ぁ1ヶしか
ねぇ我が家のベッドを、馬鹿なガキ共に提供してやるほどお人好し
じゃねぇぞ」
 悪し様に罵倒し、突き放す科白でもって追い立てるイルムの声に
促され、ライとリュウセイのふたりは吹き荒ぶ氷雪の中に突き出さ
れた。……尤も、リュウセイがイルムの家を訪れた頃に比べれば、
風も幾分か弱まり、吹雪と言うよりは豪雪といった程度に収まって
いたのだが。それでも忽ちに白い闇の向こうに呑まれ、消えていく
二つの茶色いコートの後ろ姿を見送って、イルムは深々とした溜息
を吐いた。
「なぁにやってんだかなぁ……」
 と、そう呟いたイルムの声は誰に宛てたものであったのか。吐く
と同時に引き攣れた唇の端を「イチチ…」と呻いて歪め、彼は複雑
な表情で宙を仰いだ。
「花のクリスマスも近いってのに天下の美形の横っ面、思いっ切り
張り倒してくれやがって――」
 嘯いてイルムは、痺れるのを通り越し腫れ上がり始めた頬を緩く
撫ぜる。切れた口端を起点に、扇形を描いた中心部は青黒く凝り、
それを取り巻く頬肉が腫れた彼の顔は、確かに美形と呼べる造作が
台無しとなる被害を受けている。それを鏡で改めて見るまでもなく、
辿る指先の触診で感じ取ったイルムは、しかしそれを憤る素振りも
見せず、皮肉な笑みを浮かべて自嘲した。
「……デートまでにゃ治るかな」
 などとボヤくイルムの科白には、結構切実なものが含まれていた
のだが。それを聞き咎める者は最早、その場には無く、またそれを
伝えるべき相手も最初から、彼の脳裏にしか描かれていなかったの
だった。
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Santa Claus is Comin' to Dream 2 第2話・中篇

 投稿者:稲葉一成  投稿日:2005年12月24日(土)10時17分16秒
編集済
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「……それで、俺の所に来たって?」
 外は吹雪。にも関わらず、被って来たエスキモーコートのフード
を脱ぐ間も取り敢えず、コクリ、と頷いたリュウセイの雪ダルマの
ような姿を認めて、イルムは呆れた様相を隠そうともせず眉を跳ね
上げた。まったく、この似たモノ親子はどうしたものかね、と思い
巡らすイルムの脳裏には、つい先程まで似たような格好で同じ場所
に立ち尽くしていたライの姿がある。流石に彼は、こんな猛吹雪に
なる前に、と言うより吹雪になったから家を――ひいては中に居る
リュウセイを心配して帰って行ったのだが。それでも慣れぬ子育て
の心配を、事もあろうに独身のイルムの許に持ち込んで、的外れに
泣きついて来たのに変わりはない。本当に、焦ると人は碌な行為に
走らないとは、意外と冷たい――と言うより冷静に返るほど呆れて
しまった――イルムの心中である。
 一方で、その彼の養い子であるリュウセイは、こちらは多少は親
より見込みがあった。彼が持って来たのは明らかに、悩める少年の
『恋愛相談』であって、その方面では少なくともライよりイルムに
一日の長がある。かと言って、そうした相談を持ち込む相手として
イルムが妥当であるかどうかは、意見が分かれる話であったろうが。
「で。具体的には、どうしたのよ?」
 この猛吹雪の中、人目に付かぬよう来たいという理由だけで死の
行軍を乗り越えてきたリュウセイを暖炉の傍に座らせ、自分は元の
テーブルに片肘を突いて腰掛けたまま、イルムは億劫そうに問いを
投げた。これと同じ科白をライにも向けて吐いたのだが、彼の言う
事はどうも要領を得ない。そもそもの問題点を取り違えているか、
敢えて見ない振りをしている――或いは危機を回避したい本能から
眼を逸らし続けている――としか思えない。その為、イルムは早々
にライの口から事の真相を聞き出そうとするのは放棄していた。
 幼い子供の話だ、一日や二日、食事を摂らない事など大した問題
ではない。放って置いても、育ち盛りの身体が求める。だから直に
元の通り食べだすから暫くは、そっとして置け。そんな風に適当な
事を言って、イルムはライを家から追い出したのだが。続いて家に
やって来たリュウセイの姿を見ると、これはそんな――子供の癇癪
やハンストなどと言った――根の浅い問題ではなさそうだ。しかし
幸いにしてリュウセイは、同じく子供であるために自分の真相から
眼を逸らし、真実を誤魔化し隠してしまいたいなどという、複雑な
心理は持ち合わせていない。その分、本当のところを聞き出し易い
だろうと踏んで、イルムは便宜上、彼に与する事にしたのである。
……尤も、それは当座の話であり、面白そうだったからという理由
に他ならない。厄介な面倒事に首を突っ込むのは御免だとも思って
いたあたり、これでクール&ドライな非情派と呼ばれるのも伊達で
はなかったかも知れない。
 兎にも角にも、差し当たってこの親子を悩ませている嵐の在処を
知ろうと、イルムは内心、興味津々な思いを真面目な顔つきに隠し、
椅子の背を抱く姿勢に座り直してから聞き耳たてる身を乗り出した。
リュウセイはポトポトと溶けた雪の雫が垂れるコートを脱ぎ、それ
を躾良く暖炉際のラックに掛けてから再び戻って来ると、俯く視線
を床に投げ降ろしたまま、改めて椅子の上に座り直した。パチパチ
と爆ぜる橙色の暖炉の火が、憂いを帯びた黒い瞳の中に映り込み、
涙にも似た悲しみの翳を描いて幾度も弾けた。そんな、ひと頃には
考えられぬ大人びた風情を見せるようになったリュウセイを眺め、
イルムはそっと溜息を吐く。……こりゃ眼の毒だわなぁ、と言うの
が彼の正直な本音であった。よもや最初から「そう」と目してライ
の兄もリュウセイを彼の許に送り込んできた訳ではあるまいが――
いや、「あの」兄上だ、その可能性が無いとも言い切れないあたり、
恐ろしい話である。それはともかくとして、思いも寄らぬ成長ぶり
を見せ始めたリュウセイに、ついて行けぬライが戸惑ったとしても
無理はない話だったかも知れない。
 そんな事をつらつらと思い浮かべていたイルムの前で、ギュッと
拳を握り締めたリュウセイは、意を決したように噛んでいた両唇を
解いて喋り始めた。
「……オレ、変なんだ」
 たったそれだけを言うのにも、かなりの勇気を要したのだろう、
カタカタと震える指先を握り拳に隠したまま、リュウセイはポツリ
と呟いた。
「ぁん? ――変って、何処がよ」
 軽い語気が極まって、下手なチンピラの如き口調になってしまい
ながら、イルムは何でもない素振りを装って問い返す。こんな時、
相手の醸し出す妙な雰囲気に呑まれてしまっては負けだ。と、言う
よりも、相談事を受けた時には相手の気色に合わせず努めて平静を
保ち、逆に互いを突き放して客観的立場に入れるよう導くのが良い。
カウンセリングの初歩の初歩とも言える鉄則を、器用に守りながら
イルムは首を傾げる。ライとの件で何か言い出すとは読めていたが、
まさかリュウセイが自分の事から話を始めるとは彼の予測の範疇外
だったからだ。そうした驚きを丁寧に覆い隠してイルムは、更なる
話の呼び水を相手に向ける。
「変って、別に何処も変じゃねぇだろーが」
 角が生えるでなし、毛が生えるでなし。などと、本性がトナカイ
である彼らにしてみれば、洒落にもならない冗談を飛ばして茶化す
イルムに、リュウセイは憤るでもなく唇を噛み締め、ギュッと眉を
寄せる泣き顔を顰めさせた。
「オレ…、変なんだ…っ…! ――ィのコト、ライのコト考えると
オレ…っ、オレ…っっ――」
 それきり言葉を詰まらせ、顔を覆ってしまったリュウセイを見て、
イルムは溜息を吐くと椅子から立ち上がった。彼の言わんとする事
は解る。恋に目覚めた青少年には、ありがちな話だ。不意に動悸が
したり、急な眩暈を感じたり。そんな生理的な反応が起こるため、
まともに相手と対面する事が出来ない。しかし、そんな事は本当に
大した話ではない。相手に関わると「そう」なるのだという事さえ
自分に認めてやってしまえば、後は上手く宥めて付き合っていける
衝動だ。しかし、そんな些細な出来事さえ、「自分は変だ」と悩む
くらい思い詰めてしまうとは。こう見えてリュウセイも、あの潔癖
を以て鳴るライに妙な部分で似てしまったものだと、イルムは呆れ
混じりに肩を竦める。
「変って、オマエな……」
 ゆっくりとリュウセイの許に歩み寄り、彼を怯えさせぬよう床に
膝を突いて腰を落としたイルムは、グシグシと泣きじゃくる相手の
肩に腕を置いて、ふっと溜息を吐いた。
「別に、オマエは変じゃねぇよ。誰でも、そんな風になるんだ」
 好きな相手が出来りゃあな。と、軽く言い添えてイルムは片目を
瞑って見せる。しかし、そんな彼の仕草を認めても、リュウセイは
イヤイヤをするように俯く前髪を振り乱し、その隙間から滴る涙の
粒を零れさせた。
「……って、だって、こんな…っ、――したくなっちゃうなんて!」
 その、泣き声に掠れたリュウセイの、悲鳴のような科白を聞いた
瞬間、思わずイルムの眼は点になっていた。
「……は。」
 はぁ? と、素っ頓狂な口調で問い返す事だけはどうにか怺えて
イルムは、泣き崩れるリュウセイの頭を肩に抱き留めた。グスグス
としゃくり上げている彼に、「さっきの言葉はどういう意味だ」と
改めて聞き直すのも憚られ、イルムは少し混乱した自分の頭の中を
整理する。要するにリュウセイは、ライの事を考えると急に自分が
トイレに行きたくなってしまうのに悩んでいるのだ。しかし、泣き
じゃくりながらも切れ切れに洩らす彼の言葉を拾い集めれば、本当
にトイレに行きたい訳ではないらしい。と言うのも、実際にトイレ
に行った処で、出るモノは何も出てこないからだ。だが、無性に、
猛烈に下半身に集まる衝動は消えて無くならない。しかも、ライの
事を考えたり、彼に名を呼ばれたり触れられたりする時に限って。
 これはきっと、自分の身体がおかしくなってしまったのだ。さも
なくば、変な病気に罹ってしまったのかも知れない。いずれにせよ、
こんなままではオトナになれない。自分はライのトナカイにはなれ
ないまま、死んでしまうのだ。と、そう悲観して泣き崩れるリュウ
セイを抱いて、イルムは怒りに震える握り拳に中指をおっ立てそう
になるのを必死に怺えていた。勿論、その中指の向く先は、今この
場には居ない、可愛いトナカイの養い親に対してだ。
(――あ…ッの大馬鹿野郎がッ! テメェの子供に性教育ぐらい、
キッチリ施しとけってのッッ!)
 カマトトぶった鉄面皮の朴念仁が! などと言いたい放題の罵声
を、心の中だけでイルムはライに浴びせかけてから、怒りに震える
拳を漸く降ろした。そうして、その同じ掌をリュウセイの背に掛け、
そこを優しく撫で擦ってやる。
*******************************
 

Santa Claus is Comin' to Dream 2 第2話・前篇

 投稿者:稲葉一成  投稿日:2005年12月24日(土)07時45分40秒
編集済
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 季節は巡り、冬。今年も、サンタのシーズンがやって来た。とは
言え、まだイヴまでは半月ばかり間がある。クリスマス前の慌ただ
しさがサンタの国を満たし始めていたが、それは新年を迎える準備
も交えた長閑なものに等しかった。……そんな、ある日。
 コツコツと部屋のドアをノックする音に、リュウセイはハッと顔
を上げた。考えるまでもなく、扉の向こうの気配から相手は解って
いる。彼の愛しの飼い主、サンタのライディースだ。けれどリュウ
セイは顔に喜色を浮かべるでもなく、むしろ俄かに蒼褪める表情を
強張らせて、ベッドの上に座り込んだ膝にクッションを抱え込んだ。
「――リュウセイ? 料理が出来た。食事にしよう」
「は、…はーい!」
 起きてるんだろう? と、扉越しにライから問われ、リュウセイ
は慌てて上擦った声の返事をする。そうしなければ、まだ寝ている
と思われて、彼にドアを開けて入って来られてしまう。……それは、
今のリュウセイにとって、非常に不味かった。
「……、…」
 養い子の妙な返事に何かの違和感を覚えたのか、少しの沈黙と息
を呑む気配を扉越しに置いて、ライは静かに溜息を吐いた。けれど
それ以上は何も言わず、ゆっくりと彼は踵を返しリュウセイの部屋
の前から立ち去って行く。その、長く尾を曳くような溜息の音を、
我が口元にも引き取ってリュウセイは、ふー…っと頽れる背の下に
呼気を吐き出した。
 ベッドの中央で蹲り、膝に大きなクッションを抱えて丸まった姿
は、恰かも鞠に戯れる仔犬の如くだった。だが、リュウセイの胸で
吹き荒れていた嵐は、そんな可愛らしい姿態とは無縁のものだった。
(――静まれ、静まれ、静まれ…っ……)
 ギュッと瞑った瞼の奥、眉間に寄せた皺の上までも、火花が散り
そうな念を籠めてリュウセイは、何度も何度も祈る言葉を繰り返す。
それでもなかなかには静まってくれぬ身の裡の嵐にリュウセイは、
泣きたいような気持ちで淡く潤んだ瞳を押し開ける。
 ほぅ…と、細く搾った溜息を吐けば、少し楽になった心地はする。
けれど、それだけ。ほんの僅か出ていく呼気が、身の裡に溜まった
熱を発散するだけで、根本的な解決にはならない。逆に息吐く事で
撹拌された身中の熱が、余計に燃え盛って四肢の爪先までも焦がす
ような気がする。
 体躯の奧で凝り蟠り、そうかと思えば不意に逆巻いて全身を駆け
巡る、その熱い溶岩のような焦燥を抱えて。リュウセイは泣きたく
なる頬を、柔らかなクッションの表面に押し当てた。少し大人しく
していれば、「これ」が治まることは解っているのである。ただ、
今は間が悪かった。ちょうど食事時、しかもライが料理は出来たと
呼びに来た後だ。早く行かなければ彼に不審がられてしまう。そう
は逸れど気持ちが焦れば焦るだけ、身の裡に抱えた嵐が静まる時期
は先延ばしになってしまうのである。本当に、声を上げて泣きだし
たいような気持ちを怺えてリュウセイは、キュッと唇を噛み締めた。
 ……もしかしたら。本当は、もしかしたらそんな風に声を上げて
泣き叫び、助けを求めたら彼は助けてくれるのかも知れないけれど。
「そう」するのは何故か、リュウセイには憚られて。それより尚、
こんな風になってしまった自分を知られて、ライを困らせたり苦し
ませたりするのが怖くて。リュウセイは彼に助けを求める手を上げ
られずにいた。誰よりも大切で、大好きで、心配をかけたくない人
だから。――だから、言えない。
(……オレ、病気になっちゃったのかなぁ…?)
 ちゃんとしたオトナになる前に、病気持ちになってしまったトナ
カイ。そう考えるとリュウセイは、黙っていても眼に涙が浮かんで
くるのを感じる。それでもライは優しいから、きっと飼っていては
くれるだろうけど。立派なトナカイになるからと、彼のトナカイに
なるからと約束した誓いが果たせないのは、何より自分に口惜しく、
苦しい。
(――ライ…、どうしよう。オレ、どうしたらいいのかなぁ……)
 知らずポトポトと溢れる涙を眦から頬に零し、そこに押し当てた
クッションに吸わせながら、リュウセイは声もなく泣きじゃくって
いた。身の奧の熱は次第に治まりつつあったけれど、その代わり、
胸の裡に含まれた冷たく硬い刃のような苦しさだけが、リュウセイ
の鼓動を鈍く噛み、締めつけ続けていた。
 一方、ライはひと足先に降りた階下で、呼びかけには返事をした
ものの、まったく降りて来る気配のない養い子に気を揉んでいた。
この処、あの元気だったリュウセイが部屋の中に籠もりがちな事は
知っている。やはり何処か具合でも悪いのではなかろうか。無理に
でも扉を開けて部屋の中に入り、様子を確かめるべきだった。いや
いや、それは過保護にすぎるし、またリュウセイのコドモとしての
尊厳を軽んじる事になる。だがしかし、……。云々と無駄な煩悶を
繰り返す間にも時は過ぎ、食卓の上の料理は湯気を失い冷めていく。
 そんな事にも気づけず、ただ悶々たる懊悩を頭に弄んでいたライ
の前で、漸くキィ…と小さな軋み音がしてリュウセイの部屋の扉が
開いた。ハッと頭上を振り仰いだライの眼に、二階の廊下を歩いて
来るリュウセイの姿が映る。しかし、その横顔は俯きがちで表情も
暗く、何より落ち込んだ風情で背中を丸めている様が痛々しかった。
 本当に、いったい何があったのだと叫び出したい気持ちを抑えて
ライは、努めて平静に振る舞う仮面を頬に纏い着けた。落ち込んで
いるリュウセイをこれ以上、追い詰めたり傷つけたりすまいと彼が
気遣った故であったが、結果はまるで裏目に出た。無理やりに貼り
付けた無表情は冷静を通り越して酷薄に強張り、凍てついた怒りの
相さえ匂わせて瞳の青を際立たせていた。……いや、実際にライは
怒っていただろう。それは己の無力と至らなさに対して。しかし、
それを傍から見る他人は窺い知れない。彼らの眼に映るのは、ただ
静かな怒りに燃えて、憤懣の炎を眼光に揺らめかせる、空恐ろしい
までの美貌ばかり。それを眼にしたリュウセイは、凍てついた氷像
の表面に直に手を触れてしまったもののように、ビクッと怯える肩
を震わせると、降りかけていた階段を最後まで尽くさず脚を止めて
しまった。
 遅れ馳せながらその事に気づいたライは、慌てて氷の仮面を打ち
砕くと、愁眉の相に憂悶の色を添えてリュウセイの傍に歩み寄った。
「リュウセイ、――…」
 降りて来るのが遅いから、心配していた。と、続く筈の言葉を皆
まで出せず、ただ気遣う掌を頬に添えようとしたライを、さりげに
躱して。リュウセイは心持ち俯いた横顔を上げぬまま、ゆっくりと
部屋の中央にある食卓に近づいた。昔は随分と苦労して攀じ登って
いた感のある座席に、今では事もなく椅子を引いて腰掛けて、ふぅ、
と小さな溜息を彼は吐く。その呼気に散らされる湯気もないほど、
冷めきってしまった料理の数々が、今の何かを象徴しているように
感じられて。リュウセイは泣きたくなるような気持ちで食事の匙を
取った。
「……いただきます、…」
 こればかりは行儀良く、食事の挨拶をしかし蚊の鳴くような声で
呟いたリュウセイは、皿に盛られたシチューをひと匙、掬い取って
口に運ぶ。けれど冷めきったシチューはまるで味気なく、砂を噛む
ような心地のする食事を、リュウセイはそれ以上、続けられそうに
なかった。
 何も言わず、ただカタン、と、椅子を引く音を鳴らして向かい側
の席にライが座ったのを察しても、リュウセイは顔を上げる事さえ
出来なかった。だが、そうやって俯いていればまた再び、眦に湧き
上がった涙が零れていきそうで。リュウセイは匙の中身を吸う音に
紛れて鼻を啜り上げ、泣きじゃくる嗚咽を噛んだ奥歯の裡に怺えて
震える溜息を吐いた。
「リュ…、――」
「ごちそうさま」
 冷えたシチューを、ほんのひと匙、ふた匙。後はどんな料理にも
口をつけず、ただ辛うじて木のマグカップに注がれていたミルクを
一気飲みしてリュウセイは席を立った。そんな彼に呼びかけようと
したライの声を、食後の挨拶で遮ってしまったのは偶然だったが。
これ幸いとリュウセイは聞こえないフリをして踵を返し、そそくさ
と食卓の前から立ち去ってしまった。今、彼の優しい手に触れられ、
その指先に頬を撫でられてしまったら。泣き出さない自信がリュウ
セイにはなかった。だから、逃げる。逃げるという行為の卑怯さと、
それを選ぶ自分への不甲斐なさにも気づけぬほど、今のリュウセイ
は追い詰められていた。
 そんな風に追い詰められて、一目散に逃げる背中を見せるリュウ
セイを、無理やりに引き寄せる腕を掛けられる筈もなく。ただただ
茫然と見送ってしまいながら、ライは鈍く深い溜息を吐いた。今更、
敢えて呼び止めずとも、解っていた。真っ赤に泣き腫らした目許。
俯いて垂れ下がる前髪の縁からでも見え隠れするほど赤く染まって
見えたあれは、それだけ流したリュウセイの涙の量を物語っていた。
そんなにも彼を泣かせたものが何であるのか思いもつかず、ライは
ただ遣る方ない慚愧の念を落胆の息に混ぜて眼を閉じた。
 深く瞑った瞼の裏に映るのは、いつもであれば明るく弾む養い子
の笑顔である筈なのに。今だけは憂いの色を帯びた、泣き出す一歩
手前の顰めっ面であるのに、ライは自分の方が呻きたい気持ちで天
を仰いだ。結局、誰の手もつけられない料理は、刻々とテーブルの
上で冷めていくばかりだった。
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