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昨日、2009年8月18日早朝4時に高槻修さんが亡くなった。組織名、仲代文人が死んだ。もっとはっきり言えば、私たちにとっての唐牛健太郎が死んだのだ。
私が高槻さんと初めて会ったのは1969年4.28闘争の前々夜だった。高校時代から関西ブントに関わっていた私は、上野勝輝(後の赤軍派)からRG(共産主義突撃隊)の一員として上京せよとの指令を受け、大阪からナップザック1つで中大ブントを訪ねて中大に行った。しかし、当時中大がロックアウトで明治に亡命しているとのことで、明治大学の自治会のボックスに向かった。そこで詰襟姿の学生服を着て、謄写版でビラを作成している大人しそうな学生に出会った。みんな信じられないかも知れぬが、そのおとなしそうな生真面目な学生が高槻修さんだった。
初めての東京で途方に暮れていた私に高槻さんは生協でごちそうをしてくれ、明治の学館でこれから総決起集会が始まるから参加するように言った。久保井三派系全学連副委員長のアジ演説(この演説で破防法適用)の後、部隊は東京医科歯科大学を占拠し、28日当日機動隊の壁を突破し、秋葉原から新橋へ 霞が関占拠へと向かった。これが私の東京デビュ−であり、最初に東京のブント活動家で知り合ったのが高槻さんであった。
再び、高槻さんと出会ったのは、69年6月の伊東のアスパック粉砕闘争であった。その後、三多摩の立川にあった都立商短に入学した私は、大学で事務職員のアルバイト中であった神津さんの奥さんの文さんと知り合い、第二次ブント三多摩地区委員会で活動していた。当時すでに赤軍フラクと分裂状態にあった第二次ブントにあって、三多摩の部隊は、中大の代々木寮で中大の部隊と合流し、伊東へ向かった。総括集会中になだれ込んできた機動隊に三多摩の責任者、神津さんが逮捕され、脱ぎ捨てた中核派の白ヘルメットを高槻さんと一緒にたくさん袋詰めして赤ヘルメットに塗り替えた思い出もある。
そして、7月のブント分裂のきっかけになった明治和泉校舎へ、神津さんの指示で高橋良彦( 後の情況派)の防衛隊に行ったら、高槻さんが先にいて、「塩見が来ない」ということで、みんなでタバコの自販機を壊したりしていた。その後、私は関西から上京した上野の再オルグで大菩薩事件の直前まで赤軍派に参加していた。10.21の戦闘団による蒲田決戦で高槻さんが逮捕された同時期には、自治会委員長と全闘委委員長を兼務していた私は、全学バリストの責任者として昭島署で最初の逮捕・留置生活を送っていた。12月昭島署を出て、学校に戻ると神津さんが来て、「三多摩も軍事組織を作ったから戻ってこい」と言われ、三多摩ブントに戻った。
翌70年6月の叛旗派結成時には遊撃隊の一員として戦旗派との内ゲバに明け暮れたが、高槻さんと再会したのは翌年6月頃の砂川闘争であった。「おう、久しぶり」と言った高槻さんは、69年のうぶな学生ではなく、拘置所生活が人間を変えたのかもしれないが、ずぶとく頼もしい革命家に変身していた。71年夏 私は都立商短・立短自衛隊進駐阻止闘争委員会を組織し、大衆団体の一員として、阻止共闘会議の行動隊長を務め、飛行機を飛ばせないように反戦鉄塔を建設していた。高槻さんも上原らと鉄塔建設作業によく来てくれた。
9月砂川反戦鉄塔も出来上がり、当時叛旗派の組織部門の責任者であった立花薫氏(電通大)より、三里塚第二次収用阻止闘争の部隊指揮をとるように指示され、9月12日頃三里塚の地に向かい、9.16東峰十字路戦闘、三警官死亡に出くわした。のちに裁判では叛旗派は三警官死亡と直接関わっていないことが示された。だが当時の東峰十字路参加部隊(出発順に青年行動隊50名・日中20名・人民連帯10名・プロ学同100名・叛旗派100名(あと10名ほどの情況派が付いてきた)・解放派200名・フロント150名・労学連200名・京学連100名 全体約900名)全員は大きく動揺した。日本革命運動史上一挙に三人もの警察官が死に、50名近い警察官が失明、重傷を負った事件は明治初期の秩父困民党以来のことであったからだ。
動揺する指揮者の私に、急いで現地に来た三上治氏から「ケン(当時の私の組織名)、歴史は1人の個人の頑張りによって突破することもある」と言われ、私は再度9.20公団焼き打ち闘争も指揮継続した。三警官死亡に関わった9.16闘争参加部隊を入れ替える判断となり、代わりに当時叛旗の最精鋭部隊(中大・三多摩中心)を率いて三里塚へやってきたのは高槻さんであった。闘争後、私は無期懲役か死刑を覚悟した。
早くも、9月28日に別件で私に逮捕状(東峰十字路の現場に血染めのタオルが落ちていて、そのタオルが叛旗活動家のA子さんの実家のものという報道が日経新聞に出て、その関係で私が現場に関係していると警察はつかんだ。ちなみにそのA子さんは2年後私の妻になる)が出され、学校・自宅にガサ入れがあり、間一髪、電通大寮に逃げ込んだが、そこでも何度もガサ入れがあり、その都度、寮の屋根裏に逃げ込んだが、72年1月、寮全体が要塞化している中大代々木寮に逃げ込むことになった。
同時に71年11.19新宿交番焼き打ちで叛旗派に大量の逮捕者が出ており、逮捕状が出ていた、高槻さんと上原と私の1年以上にわたる地下生活が始まる。代々木寮での生活は「楽しい」の一言であった。3人で風呂に行き、食事し、毎晩中大や三多摩、南部の諸君もきて、酒盛りをしたり、歌を歌ったりの生活であった。特に高槻さんの赤木圭一郎の「男の怒りをぶちまけろ」は一番人気であった。機動隊のガサ入れは、朝方5時頃なので、毎晩朝5時に就寝し、12時頃起きだし、三人共、それぞれの地区の学対であったので、毎日学校へ行った。
高槻さんと上原は中部地区へ、私は西部・北部・埼玉地区へといぐあいに。早稲田・学習院・埼玉大・立教大・駒沢・武蔵工大・日大文理・東大駒場等々が私の担当した大学だ。叛旗派は地下生活が閉じられ、妄想化していくことを危惧し、半地下生活。つまり活動し続けながら逃亡するという方針であったので、逃亡生活も明るかった。代々木寮での高槻さんとの思い出はきりがないが、2つだけエピソ−ドを挙げておこう。
1つ目は、高槻さんと上原、藤原などと代々木寮の食堂で朝食を採っているとき、近くに来た理工学部の解放派が「高槻。お前ブントで偉くなったらしいなぁ」とからかった。高槻さんは、そいつら3人を「みんな手足をもっとけ」といって、ボコボコにし、血へどを吐かせたことがある。「高槻さん、死んじゃうからやめましょう」とぃって必至で止めた記憶がある。その夜から代々木寮にいた解放派は全員が東大駒場へ逃亡した。
次に72年2月あさま山荘事件の時である。高槻さんと上原と私は劇研の島村の部屋でテレビに釘付けであった。特に高槻さんは「何で俺たちはあっちにいないんだ」としきり言っていた。高槻さんは叛旗だが、赤軍に幻想があった。私は元赤軍派で、彼らの大言壮語、内部関係の出鱈目さ、大衆運動の指導部からの召還、革命の昂揚期という時代判断等々、十分に分かっていたので全く幻想がなかった。だが中大では最左派を自認していた高槻さんは少し違ったようで、クリアするのに時間がかかったようだ。
その後お互い逮捕され、東京拘置所にいた時、何度か出会った。高槻さんはふてぶてしく、やくざのように看守を従え、「おう」と声をかけてくれた。
出獄後、73年に川口君殺害事件で対カクマルとの激闘が始まっており、代々木寮で毎日のように高槻さんの指導でゲバルト訓練を行った。6.14早大、私を含む叛旗の最精鋭部隊64人が逮捕され、それが叛旗らしい最後の戦いとなるとは当時は夢にも思わなかった。
11月千葉刑務所から出獄した私は中大代々木寮に駆け付けた。「神田川」の替え歌にもある「24人の突撃隊」に挨拶するためであった。麻布の圭、力丸・三多摩のエンちゃん・節男・トロさん・明学のデロ等々、指揮は中大の上原と青学の横目がとるとのことだった。 今から考えれば、戦艦大和の特攻みたいなものであった。叛旗派5年の戦いで、神津・三上氏の2大指導者と年長の救対の比留間先生以外で逮捕・保釈中以外のものは皆無に近い状態であった。上から秀人・高橋克っちゃん、立花、石井、柳、深沢、譲二、高槻、私、上原、春地、エンちゃん、武田、備前など。叛旗派は万身創痍であった。
挨拶した私は「すぐ後に続くからWACと生死を共にしてカクマルから早稲田を解放するように」と訴えた。夜半、叛旗が早稲田に突っ込まないことにしたと上原と横目から告げられた、どうも上のブントが渋っているとのこと。無傷で逮捕されてもいいブントの指導部と言えば、電通大の垣内・生島・中大の会沢、三多摩のハルチ、事務局の氷山ぐらいしかいなかったが、会沢さんは消耗して、ハルチは「もう1人ブントから出てくれ」といい、垣内・生島はいやがっている等々の話があり、後で聞いたが、神津さんが「俺がいく」と主張したらしいが、三上が大反対したとのことだった。
真相は当事者しか分らぬが、私は上原と横目に「最後まで叛旗を信じてくれたWACを見捨てるのか」と激しく詰め寄ったことを記憶している。こtのときほど獄中にいた高槻さんが側に居てくれればと思ったことはない。当時叛旗の一部には早稲田が焦点だといっても1大学の話ではないか。党派の政治生命を賭けるのはおかしいといった意見もあったようだ。また私が早稲田担当の学対でもあったので、それで突っ込めと頑張っているというと受け止める人もいた。
しかし、その後の叛旗派の歴史を見れば、早稲田解放闘争の11月の最終局面で叛旗派の生命は終わったのだ。大衆運動の指導部を自認し、大衆と共にあろうとし、大衆の共同体契機にこだわり続けた叛旗派が土壇場でWACを見捨てた段階で叛旗派は終わったのである。(続く)
(2009年8月19日告別式で一部配布分に加筆した)
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