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早朝に宮古島出身の詩人新城兵一氏から電話があり、上原生男君が亡くなったと言う。確か返還直前の1972年春に沖縄を訪ねた際に、私が吉本隆明さんから上原君を紹介され、上原君から新城氏を紹介されてからの付き合いだ。上原君はその後に叛旗派の沖縄討論集会にも、吉本さんや沖青同の仲里君とともに参加して戴き発言してもらった。
上原君は琉球大出身の詩人で、那覇市役所の保険部に勤めていた。島成郎さんが精神科医としての赴任先の沖縄で、当時の屋良県知事の息子が率いる県医師会から酷い苛めを受けていた際に、仕事分野で何かと島さんを応援していた。当時は評価が定まらなかった、沖縄独立運動にも関心を持っていたようだ。
また私と同じ年代で少し対抗心を持っていたらしく、泡盛を呑みながらしきりと論戦を挑んできた。何しろ日本軍が、沖縄を戦場にして沖縄人を集団自決に追い込んだんだ。沖縄への差別の悲惨さや現地住民の反発は、一ヶ月くらいの現地調査で分かる訳がない。どこにでも米軍基地があり風俗営業は一大産業だが、先入観なく地元の夜の女と付き合えば沖縄の本音が分かると挑発もした。
6月に会った際の仲原効君の話では、年長の川満信一さんや新川明さんは年を取って穏やかになったが、上原君や新城氏は沖縄の現代詩分野では粘り強く現役で活動している様子だった。最近は音信も途切れがちだったが、65歳の早世であり残念でならない。静岡大にいた弟君は今はどうしているだろうか、思い出すと気に掛かる。
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